更新日 2014年08月17日
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フェリックス クレール リデル (フランス人宣教師)
フェリックス クレール リデル の紹介

フェリックス クレール リデル(Felix Clair Ridel)1857年に司祭の叙品を受け、1859年にパリ外国宣教会に入会後、朝鮮宣教師として配属されて1861年3月に朝鮮に潜入した。
宣教活動を始めて5年目なった1866年に「丙寅教獄」が起こると、これを避けて中国で身を守っていたが、1869年6月25日に朝鮮教区の第6代教区長に任命されると、1877年に再び朝鮮宣教師として潜入して宣教活動を広げていたが、4か月で潜入事実が発覚し、ソウル捕盗庁に投獄されて5か月後に釈放と共に中国に追放された。
彼は満州に留まって、初の韓国語文法書である『韓語文典』と『韓仏字典』を完成させて出版した。宣教師や朝鮮教区長として公式書簡や私書をはじめとする膨大な量の記録を残した。そのうち「丙寅洋擾」関連の書簡などは、朝鮮中・後期史の重要な資料的価値を持っている。(機械翻訳 若干修正)

フェリックス クレール リデル の書籍
青い目から見た朝鮮監獄の風景 『 私のソウル監獄生活1878 』 出版

青い目から見た朝鮮監獄の風景『私のソウル監獄生活1878』出版

1878年1月にソウルで逮捕されて同年6月まで続いた収監生活が盛られている。出版社によれば、朝鮮の監獄生活を西洋人の目で観察した本が出るのは今回が初めてだ。

青い目に写った監獄の風景は灰色で彩られている。獄卒たちは囚人たちに一晩中歌をうたうように強要する。獄卒に雇われた乞食たちは蚤を追うために、のべつ幕無しに全身をかきながらも、監視の目だけはひからせている。
内縁関係にある人妻を横取りするために罪のない男を捕らえて身体障害者にするかと思えば、殴打で死亡する囚人が続出するなど、監獄で行われた獄卒たちの横暴は極に達する。監獄内の施設も非常に劣悪だ。
飲料水を除いた唯一の水は、監獄中央にある水溜によどんで溜まっている水。だが、この水を使って洗うと皮膚病に至る場合が常であった。また、暑さと寒さ、換気されない狭苦しい空間、劣悪な献立で健康を損なうことが頻繁だった、と著者は回顧する。

囚人らの日常を言及した記載も興味深い。
「夜が明ける頃、獄卒がきて『扉を開ける!』と叫ぶ。泥棒を除いた他の囚人たちは外に出て行きたければ監獄の広場に出て行くことができる。日没後にはほどなく囚人たちの点呼がある。獄卒たちはひとまず一か所に集まって、囚人たちを監視する獄卒を一人ずつそれぞれの監獄に配置した後、扉を閉める。この時からは、どんな緊急なことが起こっても、いくら痛がる患者が発生しても出て行くことはできない」まるでサディストのように、囚人たちが刑罰受ける姿を楽しむ捕校(朝鮮時代の捕盗庁の役人:刑事)たちを描写した部分も異彩を放つ。
「信者たちに対する刑罰というのは、足と腕を捻ったり、空中に吊るすようなものなどだ。何より心が痛かったのは、現場にいる捕校たちと刑吏たちがその光景を見て、あざ笑って楽しそうに声を出して笑うということだった」

著者はこの他にも、新しく来た囚人が経なければならない必要な手続き、自由の身になった収監者が残っている者たちの釈放を祈って施す宴、囚人たちの間でも嫌悪対象になる人物に対する描写、死刑方法など、監獄を囲んだ多様な話に言及する。
この本は、韓国に関連した貴重な西洋古書を翻訳した『彼らがみた私たち』シリーズの6番目の図書として発刊された。(機械翻訳 若干修正)