更新日 2014年08月17日
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パトリック・ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)
パトリック・ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の紹介

パトリック・ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)

パトリック・ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)と妻の小泉セツ
嘉永3年5月18日(1850年6月27日)~明治37年(1904年)9月26日
本名はラフカディオ・ハーン(Lafcadio Hearn) ギリシャ生れのイギリス人。
明治23年(1890年)雑誌特派員として来日するが、同年、英語教師として松江中学に赴任。
明治24年(1891年)1月に小泉セツと結婚し、11月に熊本の五高へ転任。
明治29年(1896年)日本国籍を取得して「小泉八雲」と名乗る。上京して東京帝国大学で英文学を講じる。
この間『日本瞥見記』『東の国から』などの随筆で、生活に密着した視点から日本を欧米に紹介した。
明治37年(1904年)アメリカで刊行された『怪談』は、日本の古典や民話などに取材した創作短編集である。
パトリック・ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)本の紹介 『日本の面影』
ラスカディオ・ハーン (Lafcadio Hearn, 1850~1904) はギリシア生まれのジャーナリスト・作家で、1890(明治23)年に通信記者として来日、1896(明治29)年に帰化し小泉八雲と名乗った。この間、松江中学校や熊本第五高等学校で英語を教え、「神戸クロニクル」紙の記者を経て東京帝国大学英文科の講師となった。
本書 (Glimpses of Unfamiliar Japan) は来日後初の作品集で、1894年ボストンとニューヨークで出版された。ハーンの日本賛美と西洋批判はモースよりさらに極端で、近代化・産業化への強い反感が日本にのめり込む素地になったらしい。

パトリック・ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)『日本の面影』
日本の生活にも、短所もあれば、愚劣さもある。悪もあれば、残酷さもある。だが、よく見ていけばいくほど、その並外れた善良さ、奇跡的と思えるほどの辛抱強さ、いつも変わることのない慇懃さ、素朴な心、相手をすぐに思いやる察しのよさに、目を見張るばかりだ。 (p. 7)
日本がキリスト教に改宗するなら、道徳やそのほかの面で得るものは何もないが、失うものは多いといわねばならない。これは、公平に日本を観察してきた多くの見識者の声であるが、私もそう信じて疑わない。 (p. 10)
まるでなにもかも、小さな妖精の国のようだ。人も物もみんな小さく、風変わりで神秘的である。 (p. 13)
旅人が、社会変革を遂げている国を――とくに封建社会の時代から民主的な社会の現在へと変わりつつあるときに突然訪れれば、美しいものの衰退と新しいものの醜さの台頭に、顔をしかめることであろう。そのどちらにも、これから日本でお目にかかるかもしれないが、その日の、この異国情緒溢れる通りには、新旧がとてもうまく交じり合って、お互いを引き立てているように見えた。 (pp. 18-19)
そのとき私は、それらの人々の足が、なんと小さくて格好がいいかに気づいた。農民の日焼けした素足も、ちっちゃなちっちゃな下駄を履いた子供のきれいな足も、真っ白い足袋を履いた娘たちの足も、みんな同じように小さくて格好がいい。足袋は、親指のわかれた白い靴下のようなものであるが、牧神ファウヌスの切れこみのある白い足の上品さに通ずるとでもいおうか、真っ白な足下に神話的な香りを添えている。何かを履いていようが、裸足であろうが、日本人の足には、古風な均整美といえるものが漂っている。それはまだ、西洋人の足を醜くした悪名高き靴に歪められてはいない。 (pp. 22-23)
街道沿いでは、小さな村を通り抜けざまに、健康的で、きれいな裸体をけっこう見かける。かわいい子供たちは、真っ裸だ。腰回りに、柔らかく幅の狭い白布を巻いただけの、黒々と日焼けした男や少年たちは、家中の障子を取り外して、そよ風を浴びながら畳の上で昼寝をしている。男たちは、身軽そうなしなやかな体つきで、筋肉が隆々と盛り上がった者は見かけない。男たちの体の線は、たいていなめらかである。 (p. 51)
田舎の人たちは、外国人の私を不思議そうな目で見つめる。いろんな場所で私たちがひと休みをするたび、村の老人が、私の洋服を触りに来たりするのである。老人は、謹み深く頭を下げ愛嬌のある笑みを浮べて抑えきれない好奇心を詫びながら、私の通訳に変わった質問をあれこれぶつけている。こんなに穏やかで優しい顔を、私はこれまで見たことがない。その顔は、彼らの魂の反映であるのだ。私はこれまで、怒鳴り声をひとつも耳にしたことがないし、不親切な行為を目にしたこともないからである。 (p. 51)
この村落は、美術の中心地から遠く離れているというのに、この宿の中には、日本人の造型に対するすぐれた美的感覚を表してないものは、何ひとつとしてない。花の金蒔絵が施された時代ものの目を見張るような菓子器。飛び跳ねるエビが、一匹小さく金であしらわれた透かしの陶器の盃。巻き上がった蓮の葉の形をした、青銅製の茶托。さらに、竜と雲の模様が施された鉄瓶や、取っ手に仏陀の獅子の頭がついた真鍮の火鉢までもが、私の目を楽しませてくれ、空想をも刺激してくれるのである。実際に、今日の日本のどこかで、まったく面白味のない陶器や金属製品など、どこにでもあるような醜いものを目にしたなら、その嫌悪感を催させるものは、まず外国の影響を受けて作られたと思って間違いない。 (p. 57)
これまで立ち寄った小さな田舎の村々と変わらず、ここの村の人たちも、私にじつに親切にしてくれた。これほどの親切や好意は想像もできないし、言葉にもできないほどである。それは、ほかの国ではまず味わえないだろうし、日本国内でも、奥地でしか味わえないものである。彼らの素朴な礼儀正しさは、けっしてわざとらしいものではない。彼らの善意は、まったく意識したものではない。そのどちらも、心から素直にあふれ出てきたものなのである。 (p. 58)
この国の人はいつの時代も、面白いものを作ったり、探したりして過ごしてきた。ものを見て心を楽しませることは、赤ん坊が好奇心に満ちた目を見開いて生まれたときから、日本人の人生の目的であるようだ。その顔にも、辛抱強くなにかを期待しているような、なんともいえない表情が浮かんでいる。なにか面白いものを待ち受けてる雰囲気が、顔からにじみ出している。もし面白いものが現れてこないなら、それを見つける旅に、自分の方から出かけてゆくのである。 (p. 97)
日本人は、野蛮な西洋人がするように、花先だけを乱暴に切り取って、意味のない色の塊を作り上げたりはしない。日本人はそんな無粋なことをするには、自然を愛しすぎていると言える。 (pp. 108-109)
神道は西洋科学を快く受け入れるが、その一方で、西洋の宗教にとっては、どうしてもつき崩せない牙城でもある。異邦人がどんなにがんばったところで、しょせんは磁力のように不可思議で、空気のように捕えることのできない、神道という存在に舌を巻くしかないのだ。 (p. 153)
と同時に、同じような理由で、日本の古い庭園がどのようなものかを知った後では、イギリスの豪華な庭を思い出すたびに、いったいどれだけの富を費やしてわざわざ自然を壊し、不調和なものを造って何を残そうとしているのか、そんなこともわからずに、ただ富を誇示しているだけではないかと思われたのである。 (p. 216)
しかし、心得るべきことは、どんなに貧しくて、身分が低いものであろうと、日本人は、不当な仕打ちにはまず従わないということである。日本人が一見おとなしそうなのは、主に道徳の観念に照らして、そうしているのである。遊び半分に日本人を叩いたりする外国人は、自分が深刻な誤りを犯したと思い知るだろう。日本人は、いい加減に扱われるべき国民ではないのである。あえてそんな愚挙に出ては、あたら命を落してしまった外国人が何人もいるのである。 (p. 313)
日本人のように、幸せに生きていくための秘訣を十分に心得ている人々は、他の文明国にはいない。人生の喜びは、周囲の人たちの幸福にかかっており、そうであるからこそ、無私と忍耐を、われわれのうちに培う必要があるということを、日本人ほど広く一般に理解している国民は、他にあるまい。 (p. 317)
パトリック・ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)本の紹介 『怪談』
『怪談』初版本(1904年)
八雲の代表作。人間に対する深い洞察と信念から生まれ、独自の文学に昇華した。晩年の名作「耳なし芳一」、「雪おんな」などの数々を所収。
下記4冊は、英語・オランダ語・ドイツ語・スペイン語に訳され、各国で販売された本です。

KWAIDAN
English, USA, 1904, Houghton, Mifflin & Co.
英語、アメリカ、1904年、Houghton, Mifflin & Co.
『 KWAIDAN 』は太平洋戦争中、アメリカの対日本心理戦に重要な役割を果たしたとされる。当時のアメリカ軍准将であり、ダグラス・マッカーサーの軍事書記官・心理戦のチーフであったボナー・フェラーズ(英語版)は、当時のアメリカが利用できる、日本人の心理を理解するための最高の本であったと述べたという。

Kwaidan: Spookverhalen uit het oude Japan
Dutch, The Netherlands, 1907, Meudenhoff Editie
オランダ語、オランダ、1907年、Meudenhoff Editie

KWAIDAN
German, Germany, 1921, Rutten & Loenung
ドイツ語、ドイツ、1921年、Rutten & Loenung

KWAIDAN
Spanish, Argentina, 1941, Imprenta Linari y Cia
スペイン語、アルゼンチン、1941年、Imprenta Linari y Cia
パトリック・ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)エピソード
16歳のときに怪我で左眼を失明して隻眼となって以降、白濁した左目を嫌悪し、晩年に到るまで、写真を撮られるときには必ず顔の右側のみをカメラに向けるか、あるいはうつむくかして、決して失明した左眼が写らないポーズをとっている。
アメリカで新聞記者をしていたとき、「オールド・セミコロン(古風な句読点)」というニックネームをつけられたことがある。句読点一つであっても一切手を加えさせないというほど自分の文章にこだわりを持っていたことを指している。
英語教師としては、よく学生に作文をさせた。優秀な学生には賞品として、自腹で用意した英語の本をプレゼントしていた。
アメリカ在住中に勤勉が習い性になり、日本では学校教育の傍ら14年間に13冊の本を書いた。
田部隆次の弟・田部重治は兄からハーンの逸話を聞き、「英文学界そぞろ歩き」(『英語青年』1967年9月号)として発表した。それによれば、ハーンは学生に題名を与えて感想・随筆の懸賞を行い、受賞者には文学全集を与えた。田部、浅野、大谷正信、戸沢正保達が受賞したという。
東京帝国大学では学生の信望が厚く、解任のときは激しい留任運動が起きた。川田順は「ヘルン先生のいない文科で学ぶことはない」といって法科に転科した。後年この話の真偽を尋ねられた川田はそれが事実であると答え、後任の夏目漱石についても「夏目なんて、あんなもん問題になりゃしない」と言った。
非常に筆まめであり、避暑で自宅を離れている間、あとに残った妻セツに毎日書き送った手紙が数多く残されている。ハーンは日本語がわからず妻は英語がわからないため、それらは夫妻の間だけで通じる特殊な仮名言葉で書かれている。
妻セツは日本語が読めない夫のリクエストに応じて日本の民話・伝説を語り聞かせるため、普段からそれらの資料収集に努めた。彼女以外の家族・使用人・近隣住民、また旅先で出会った人々の話を題材にした作品も多い。
もともと強度の近視であったが、さらに晩年は右目の視力も衰え、高さが98センチもある机を使用して紙を目に近づけランプの光を明るくして執筆を行った。
コオロギの一種クサヒバリの鳴き声の美しさを讃えた。
パトリック・ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)来日後の著作
  • 知られざる日本の面影 (Glimpses of Unfamiliar Japan) 1894年 - 鳥取のふとんの話、日本人の微笑、他
  • 東の国より (Out of the East) 1895年
  • 心 (Kokoro) 1896年
  • 仏陀の国の落穂 (Gleanings in Buddha-Fields) 1897年 - 生神、人形の墓、勝五郎の転生、他
  • 異国風物と回想 (Exotics and Retrospectives) 1898年
  • 霊の日本にて (In Ghostly Japan) 1899年
  • 影 (Shadowings) 1900年 - 和解、死骸にまたがる男、他
  • 日本雑録 (A Japanese Miscellany) 1901年 - 守られた約束、破られた約束、果心居士のはなし、梅津忠兵衛、漂流、他
  • 骨董 (Kotto) 1902年 - 幽霊滝の伝説、茶碗の中、常識、他
  • 怪談 (kwaidan) 1904年 - 耳なし芳一のはなし、むじな、ろくろ首、雪女、葬られた秘密、食人鬼、他
  • 日本―一つの解明 (Japan: An Attempt at Interpretation) 1904年
  • 天の河綺譚その他 (The Romance of the Milky Way and other studies and stories) 1905年
パトリック・ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)ちりめん本
長谷川武次郎が刊行した日本昔噺シリーズ (Japanese Fairy Tale) のうち、5作品が八雲によるもの。
  • 猫を描いた少年 (The boy who drew cats) 1898年
  • 化け蜘蛛 (The goblin spider) 1899年
  • 団子をなくしたお婆さん (The old woman who lost her dumpling) 1902年
  • ちんちん小袴 (Chin Chin Kobakama) 1903年
  • 若返りの泉 (The Fountain of Youth) 1922年