更新日 2014年08月17日
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ラザフォード・オールコック(イギリス・外交官)
ラザフォード・オールコック の紹介

ラザフォード・オールコック
ラザフォード・オールコック卿(Sir Rutherford Alcock 1809-1897)は、イギリスの初代駐日英国公使で、1859 年(安政 6 年)に総領事兼外交代表として来日、3 年後の 1862 年 6 月に一時 帰 国 した翌年 に 『 The Capital of the Tycoon: a narrative of a three years’ residence in Japan』(※邦訳:『大君の都:幕末日本滞在記』岩波文庫)を著しました。表題の「大君」tycoon とは、徳川将軍のことで、幕末に用いられた称号です。
ペリーの来航に続く安政年間は、地震・津波、コレラ流行、井伊大老の暗殺、尊王攘夷派の浪士による外国人襲撃などが頻発する騒然とした世相でした。オールコックは日英修好通商条約の批准など多事多難な公務に従事するかたわら、外国人として初めて富士山に登頂し、函館、長崎~江戸にも国内視察旅行を行い、江戸近郊にも度々出かけては日本の自然・風物にも目を向け、閉鎖的な幕府役人と異なる町や農村の人々との接触を楽しみました。
富士登山の帰路に宿泊した熱海温泉では、愛犬トビーを事故で失いましたが、宿の主人が僧侶を呼び皆で手厚く葬ってくれたことに感激し、「日本人は、支配者によって誤らせられ、敵意を持つようにそそのかされない時時には、まことに親切な国民である。」と書いています。
ラザフォード・オールコック の書籍
ラザフォード・オールコック『大君の都:幕末日本滞在記 上・中・下』

ラザフォード・オールコック『大君の都:幕末日本滞在記 上・中・下』
長崎の町の山の手の部分の概観は、半ば荒廃した都市のようである。その理由の一半は道路の道幅にあり、他の一半はおびただしい人口をもつ中国の諸都市と比較してみたことにあると思う。商店には、品物が乏しいような感じがした。陶磁器・漆器・絹製品などがあるだけだ――江戸を相手に商売をしてるのではないであろうから、まったく見くびるのはどうかと思うが、それにしてもあまり心をひきつけるものはない。 (上巻, p. 147)
かれらを、その類似点や相違点をも合わせて、全体的に考えてみると、日本のワビング〔ロンドンのテームズ川ぞいのドックのある地区で、ロンドンの海からの入り口をなしている〕ともいうべきこの港町から判断しただけで、すぐに数世紀にわたってかれらのなかに住みついた中国人居留民から悪習を教えこまれ、またオランダ人その他の外国人からも過去・現在をつうじて悪習を教えこまれながらも、愛想がよくて理知的で、礼儀正しい国民であり、そのうえに上品で、イタリア語とまちがえるような一種の柔らかなことばを話すという結論をえることができる。市が開かれる広場でのかれらのあいさつは、からだを低く折りまげてする品位があって入念なおじぎである。 (上巻, p. 151)
いたるところで、半身または全身はだかの子供の群れが、つまらぬことでわいわい騒いでいるのに出くわす。それに、ほとんどの女は、すくなくともひとりの子供を胸に、そして往々にしてもうひとりの子供を背中につれている。この人種が多産系であることは確実であって、まさしくここは子供の楽園だ。 (上巻, p. 152)
私は読者に、立体鏡の筒を目にあてがって、新しい時代や他の民族についての先入見や周囲の対象をことごとくしめだすようにおねがいする。このことは、まえまえから考えていたことで、そうすれば読者は、われわれの祖先がプランタジネット王朝〔イギリスの王家(一一五四-一三九九年)〕時代に知っていたような封建制度の東洋版を、よく理解することができるであろう。われわれは、一二世紀の昔にまいもどるわけだ。なぜなら、「現在の日本」の多くの本質的な特質に類似したものは、十二世紀にしかもとめられないからである。 (上巻, p. 187)
よく手入れされた街路は、あちこちに乞食がいるということをのぞけば、きわめて清潔であって、汚物が積み重ねられて通行をさまたげるというようなことはない――これはわたしがかつて訪れたアジア各地やヨーロッパの多くの都市と、不思議ではあるが気持ちのよい対照をなしている。 (上巻, pp. 199-200)
日本人は、いろいろな欠点をもっているとはいえ、幸福で気さくな、不満のない国民であるように思われる。ところで、その欠点のうちでもっとも重要なことは、かれらには、軍事的・封建的・官僚的なカスト――これは、カストというよりも、階級といった方がよいかも知れぬが、どちらも似たり寄ったりだ――があるということだ。 (上巻, p. 204)
たしかに日本人は、なんでも二つずつというのを好むようだ。二元的原理が人間の組織のなかにはいり、全自然に浸透しているのをわれわれは知っているが、日本の特質のなかには、この二元的なものが、どこよりもひときわ念入りに進歩しているようだ。ある博学な医者が主張するように、われわれが外見上二つの目と耳をもっていると同じく、頭のなかには二つの完全な頭脳がはいっていて、そのおのおのが両者を合わせた機能のすべてを果たし、また独立したいくつもの思考さえ同時に営むことができるということが事実だとすれば、日本人の頭脳の二重性はあらゆる種類の複合体を生み、政治的・社会的・知的な全生活のなかにゆきわたり、これらをいわば二重化する方法を生み出してきたと見なすことができるであろう。日本では、ただひとりの代表だけと交渉するということは不可能だ。元首から郵便の集配人にいたるまで、日本人はすべて対になって行動する。 (上巻, pp. 259-260)
名詞に性がないということ、また三人称の「かれ」・「彼女」・「それ」などのあいだの差異を示す人称代名詞がないということは、日本語の文法上の顕著な事実なのだが、このことは、奇妙にも、公衆浴場の混浴その他の日常生活の習慣の面でも実践されているようだ。たしなみということについてのわれわれのいっさいの観念とはまったく反対のことが日本で行なわれていながら、しかもヨーロッパではそんなことをすれば必然的に生ずると思われる結果が日本でも生じているかどうかということを自信をもっていえるほど、われわれはまだその国民や社会生活に通じているとはいえないようだ。 (上巻, p. 260)
すべてこういったことのなかで、われわれが第一に知ることは、妙に自己を卑下する傾向であり、個人主義・自己主張がある程度欠けているということだが、これは、他面、かれらの国民性のなかのあるものにひじょうに反している。日本人は、自分の種族や国家を誇り、自分の威厳を重んじ、すべて習慣やエチケットが規定するものを怠ったり拒絶したりすることによって自分たちに投げかけられる軽蔑とか侮辱にたいして、きわめて敏感である。それゆえ、当然のことながら、かれらは儀式張って堅苦しい国民である。かれらが軽蔑とか侮辱に敏感であるのにまったく正比例して、他人を腹立たせたり、他人の気にさわることを避けるために、ひじょうに気を使う。 (上巻, p. 263)
だがいまでは、長い経験からして、わたしはあえて、一般に日本人は清潔な国民で、人目を恐れずたびたびからだを洗い(はだかでいても別に非難されることはない)、身につけているものはわずかで、風通しのよい家に住み、その家は広くて風通しのよい街路に面し、そしてまたその街路には、不快なものは何物もおくことを許されない、というふうにいうことをはばからない。すべて清潔ということにかけては、日本人は他の東洋民族より大いにまさっており、とくに中国人にはまさっている。中国人の街路といえば、見る目と嗅ぐ鼻をもっている人ならだれでも、悪寒を感じないわけにはゆかない。 (上巻, p. 288)
それは、女が貞節であるためには、これほど恐ろしくみにくい化粧をすることが必要だというところをみると、他国にくらべて、男がいちだんと危険な存在であるか、それとも女がいちだんと弱いか、のいずれかだということである。 (上巻, p. 292)
日本人の外面生活・法律・習慣・制度などはすべて、一種独特のものであって、いつもはっきりと認めうる特色をもっている。中国風でもなければヨーロッパ的でもないし、またその様式は純粋にアジア的ともいえない。日本人はむしろ、ヨーロッパとアジアをつなぐ鎖の役をしていた古代世界のギリシア人のように見える。かれらのもっともすぐれた性質のある点では、ヨーロッパ民族とアジア民族のいずれにもおとらぬ位置におかれることを要求するだけのものをもっているのだが、両民族のもっとも悪い特質をも不思議にあわせもっている。 (上巻, p. 333)
どの役職も二重になっている。各人がお互いに見張り役であり、見張り合っている。全行政機構が複数制であるばかりでなく、完全に是認されたマキャヴェリズムの原則にもとづいて、人を牽制し、また反対に牽制されるという制度のもっとも入念な体制が、当地ではこまかな点についても精密かつ完全に発達している。 (上巻, p. 340)
日本人は、おそらく世界中でもっとも器用な大工であり、指物師であり、桶屋である。かれらの桶・風呂・籠はすべて完全な細工の見本である。 (上巻, p. 375)
しかしながら、そこにある建て物はけっして独創的なものではない。事実、それらは木像の建築物で、中国式の建て物をすこし修正したものにすぎない。寺院や門や大きな家は、いちじるしく中国風で、ただかたちが改良され、ひじょうによく保たれている。 (中巻, p. 24)
かれらはきっときれい好きな国民であるにちがいない。このことは、われわれがどんなことをいい、あるいはどんなことを考えても、かれらの偉大な長所だと思う。住民のあいだには、ぜいたくにふけるとか富を誇示するような余裕はほとんどないとしても、飢餓や貧乏の徴候は見うけられない。 (中巻, p. 26)
かれらの全生活におよんでいるように思えるこのスパルタ的な習慣の簡素さのなかには、称賛すべきなにものかかがある。そして、かれらはそれをみずから誇っている。 (中巻, p. 27)
自分の農地を整然と保っていることにかけては、世界中で日本の農民にかなうものはないであろう。田畑は、念入りに除草されているばかりか、他の点でも目に見えて整然と手入れされていて、まことに気持ちがよい。 (中巻, p. 49)
この土地は、土壌と気候の面で珍しいほど恵まれており、その国民の満足そうな性格と簡素な習慣の面でひじょうに幸福でありつつ、成文化されない法律と無責任な支配者によって奇妙に統治されている。わたしは「成文化されない」といったが、その理由は、閣老たちはわたしに成文の法典があるとはいうものの、わたしはいままでいちどもその写しを手にしたことがないし、それにかれらがわたしを誤解させていないかぎりは、それはいまだかつて印刷されたことがないからだ。 (中巻, p. 165)
民族のある体質的な特徴は、ある道徳的な特徴とともに、世代から世代へと伝えられる。日本人のばあいにもこの例外ではなくて、うそをつくその性癖はなにか最初の体質が完全に身についてしまったに相違ない。それでもなおその上に、日本人はその性質のなかになにか上品で善良なものの痕跡を多くとどめている。 (中巻, p. 177)
日本中どこでも、男はとくに計算がへたらしくて、この点ではヨーロッパ人の「くろうと」の好敵手たる中国人よりもはるかに劣っている。不思議なことに、女は、その主人よりもはるかに計算が上手である。それで、足し算や掛け算をするときには、かならず主婦の調法な才能にたよったものだ。 (中巻, p. 208)
たしかに、乞食はいる。首都のなかやその周辺にはかなり多数いる。とはいえ、かれらは、隣国の中国におけるように無数にいるとか飢餓線上にあるのをよく見かけるというような状態にはまだまだほど遠い。 (中巻, p. 222)
聞くところによれば、地代は地方によって、そしてまた土地の生産性にしたがって異なるようである。しかしながら、日本人はきわめて質素で窮乏しており、一般に貧しく見えるところから判断すると、耕作者にのこされるのは、かろうじて生きてゆくに足るだけの米と野菜、それにかれらがいつも着ているたいへん粗末でわずかばかりの着物を買うのにやっとのものだけらしい。 (中巻, pp. 353-354)
一般に、婦人たちの特徴になっているのは、おだやかな女らしいつつしみ深い表情と挙動であり、男たちのなかでも身分のいやしくない者は、その態度にある種の洗練さと優雅さがうかがえる。一方、下層階級の人びとでさえ、つねにたいへん礼儀正しく、他人の感情と感受性にたいする思いやりをもち、他人の感情を害することを好まない。そのような気持ちは、世間一般が野卑で粗野な束縛のない放縦が広く行なわれているなら、とてもたもちつづけることができないであろう。 (中巻, p. 392)
商品や客をのせた何千という舟が広い水面をおおっており、どの橋にも外国人を見ようとする人びとが驚くほどぎっしりつめかけていた。まったく日本人は、一般に生活とか労働をたいへんのんきに考えているらしく、なにか珍しいものを見るためには、たちどころに大群衆が集まってくる。 (中巻, p. 397)
日本人は、女には家庭の軽労働をさせ、男が戸外の重労働をするという点で、文明のすすんだ国のなかでひときわ目立っているように思えるのである。 (中巻, p. 424)
全体のこの牧歌的な効果をそこなっていた唯一のものは、奇妙なことだが、婦人たちだった。歯を黒くして赤い紅をつけているとはいえ、彼女たちのもっともみにくいいやな点は、けっしてその顔ではないのである。実際、大君や大名がいかに絶対的かつ専断的な権利を行使しているかを考えると、一六歳以上ともなれば女が着物をまとわないで外へ出るのは重い犯罪であり、不行跡だとする法令がなかったとは、不思議ではないにしても残念なことだと思える。 (中巻, p. 429)
現在日本を現実に支配しているのは、一種の封建的貴族制であると思われるが、これはある点ではロンバルディア公国〔六世紀にイタリア北部ロンバルディアに樹てられ、七七四年シャルルマーニュゲルマン人の一派・ランゴバルド族によって倒された王国〕やメロヴィンガ王朝〔四八一-七五一〕のフランスや昔のドイツで、特定の家から王を選んだころの状態を思わせるものがある。貴族や領主の連邦が土地を所有し、サクソン時代やプランタジネット朝〔一一五四-一三九九〕初期のイギリスの豪族と大体同じように支配権を享受しているように思われる。 (下巻, p. 120)
わたし、この著者の説にまったく賛成であって、日本人の悪徳の第一にこのうそという悪徳をかかげたい。そしてそれには、必然的に不正直な行動というものがともなう。したがって、日本の商人がどういうものであるかということは、このことから容易に想像できよう。 (下巻, p. 127)
ある国においては、真理にたいする愛はほとんど認めがたい。日本はそんな国である。虚偽・賭博・飲酒はさかんに行なわれているし、盗みや詐欺もかなり行なわれており、刃傷沙汰も相当多い。しかし、わたしの意見をのべておくと、こういったことはキリスト教の律法のもとにおかれ、キリスト教の美徳を行なうのにもっと好都合な条件のもとにおかれていると信じられる多くのヨーロッパの国々におけるよりも、はるかに多いというわけではない。 (下巻, p. 136)
政府は、封建的な形態を保持しており、行政のもとになっているのは、これまでに企てられたなかでももっと巧妙な間諜組織である。この組織は、必然的に文明化をさまたげる作因となり、知的・道徳的進歩にたいするひとつの障害として作用する。 (下巻, p. 136)
わたしのいっているのは、男女の関係、法律によって認められた交わり、そして婦人の地位である。この点にかんしては、不当にも多くの讃辞が日本人に与えられてきたとわたしは信じている。ここでは日本人が国民全体として他国民より不道徳であるかないかといった問題には立ち入りたくない。しかしながら、父親が娘を売春させるために売ったり、賃貸ししたりして、しかも法律によって罪を課されないばかりか、法律の認可と仲介をえているし、そしてなんら隣人の非難もこうむらない。 (下巻, p. 137)
日本政府がとっている制度ほど、思想・言論・行動の自由を決定的に抑圧する制度は、ほかに考えることが困難だ。さらにわたしは、日本の政治制度は、人間の最上の能力の自由な発達と相いれず、道徳的・知的な性質が当然熱望するものを抑圧する傾向にあり、正常にして根絶しがたいすべてのものをつちかい、発揮する手段を与えないと信じる。 (下巻, p. 140)
物質文明にかんしては、日本人がすべての東洋の国民の最前列に位することは否定しえない。機械設備が劣っており、機械産業や技術にかんする応用科学の知識が貧弱であることをのぞくと、ヨーロッパの国々とも肩を並べることができるといってもよかろう。 (下巻, p. 149)
日本人は中国人のような愚かなうぬぼれはあまりもっていないから、もちろん外国製品の模倣をしたり、それからヒントをえたりすることだろう。中国人はそのうぬぼれのゆえに、外国製品の優秀さを無視したり、否定したりしようとする。逆に日本人は、どういう点で外国製品がすぐれているか、どうすれば自分たちもりっぱな品をつくり出すことができるか、ということを見いだすのに熱心であるし、また素早い。 (下巻, pp. 149-150)
このように、世界でも最良の道路をもっておりながら、通信の速度と手段にかんする点では、かれらは他の文明世界に三世紀もおくれている。しかもこのひじょうに原始的な郵便も、人びとの必要にはなんの関係もなく、政府とその役人のあいだの連絡を保っておくのに役立っているだけである。 (下巻, p. 175)
個人や公共の建て物の大きさなり価値については、もし日本の精神文明なり道徳文明がそんなもので評価されるとするなら、日本人にとっては酷なことであろう。かれらには建築と呼びうるようなものはない。……したがって、世界最大の都市のひとつである江戸の街路ほど、むさくるしくみすぼらしいものはない。大名の屋敷でさえ、同じような建て方の低い一列のバラックにすぎず、ただ屋根が高いだけだ。 (下巻, p. 176)
すべての職人的技術においては、日本人は問題なしにひじょうな優秀さに達している。磁器・青銅製品・絹織り物・漆器・冶金一般や意匠と仕上げの点で精巧な技術をみせている製品にかけては、ヨーロッパの最高の製品に匹敵するのみならず、それぞれの分野においてわれわれが模倣したり、肩を並べることができないような品物を製造することができる、となんのためらいもなしにいえる。 (下巻, p. 177)
だが、人物画や動物画では、わたしは墨でえがいた習作を多少所有しているが、まったく活き活きとしており、写実的であって、かくもあざやかに示されているたしかなタッチや軽快な筆の動きは、われわれの最大の画家でさえうらやむほどだ。 (下巻, p. 179)
漆器については、なにもいう必要はない。この製品の創始者はおそらく日本人であり、アジアでもヨーロッパでもこれに迫るものはいまだかつてなかった。……日本人はきわめてかんたんな方法で、そしてできるだけ時間や金や材料を使わないで、できるだけ大きな結果をえているが、おそらくこういったばあいの驚くべき天才は、日本人のもっとも称賛すべき点であろう。 (下巻, p. 181)
すなわち、かれらの文明は高度の物質文明であり、すべての産業技術は蒸気の力や機械の助けによらずに到達することができるかぎりの完成度を見せている。ほとんど無限にえられる安価な労働力と原料が、蒸気の力や機械をおぎなう多くの利点を与えているように思われる。他方、かれらの知的かつ道徳的な業績は、過去三世紀にわたって西洋の文明国において達成されたものとくらべてみるならば、ひじょうに低い位置におかなければならない。これに反してかれらがこれまでに到達したものよりもより高度な、そしてよりすぐれた文明を受けいれる能力は、中国人を含む他のいかなる東洋の国民の能力よりも、はるかに大きいものとわたしは考える。 (下巻, p. 201)
ラザフォード・オールコック のエピソード
ラザフォード・オールコックは、富士山に初めて登った外国人です。

 初めて登頂した外国人は、初代英国公使のラザフォード・オールコックです。彼の手記によると麓から8時間かけて登り、山頂に1泊。お湯を沸かしてコーヒーを飲み、ビスケットを楽しむ余裕。
富士山に登る為に箱根を超えた時の感想
「小田原から三島(十一次の宿駅)へゆく道は、箱根の峠を通っている。この峠は、山脈の頂上近くにあって、距離が約七リーグ(約二一マイル)もあり、想像できるかぎりもっともけわしい山道だ。道の大半は舗装の石の代わりに岩の破片だらけの水路であるにすぎず、その上を馬にのってゆくことは、この国のわら靴を利用したところでとても不可能だ。われわれの蹄鉄つきの馬にわら靴が欠くべからざるべきであることがわかった。それにしても、別当(馬丁)にとっては、たとえ乗り手という邪魔者がいなくても、丸石をこえて安全に馬をつれてゆくことは容易な仕事ではなかった。また数名の者は落馬した。これは、膝にとっては明らかに危険なことであった。それに道はほとんどたてつづけに上り坂で、徐々にしか前進することができず、仲々骨の折れる仕事である。だが、景色はからだの疲労をつぐなってあまりあるものであった。スイスを旅行した者には、オーベルラント〔スイスの中央部の山岳地帯で、大半はベルン県に属している〕のある部分、とくにローテルブリュンネンへの下り坂を思い出させる個所が多かった。
マツの木がいっぱいはえている高い山々やみずみずしい緑色の渓谷とか屈折しながら下の野原へ流れてゆく渓流などがよく似ている。だがそれは、主要な特徴の面ではあまり雄大ではない。ここには永久的な氷河や雪のマントをかぶったむき出しの岩や高峰はない。一〇〇〇フィートの絶壁をなす不安定な岩を流れる滝もほとんどない。空高くそびえ立つはだかの岩壁をもつシーデックやウェッテルホルン〔いずれもスイスのベルン・アルプス中のやま〕が欠けている。箱根の山脈全体のなかには、高くそびえる高峰やはてしなくひろがる雪と氷河をもつユングフラウ〔南スイスのベルン・アルプスの中の山〕に匹敵しうるものはない。ベルン連峰の巨人〔ユングフラウのこと〕は、日本において見ることのすべての山々を一挙にみすぼらしく思わせるほど偉大だということを告白しておかなければならない。とはいえ、たとえその景色が崇高さの点でアルプスにとてもおよばぬとしても、その代わりに植物の多さと豊富さでははるかにアルプスをしのいでいる。
ここでは、山腹は高いところまでアカマツの森林になっていて、そのなかにタケやスギの優雅な群葉がまざっている。わたしが森林の木として誇らしげにしげっているスギを見たのは、そのときが初めてである。峠の頂上から箱根湖〔芦ノ湖〕へ下ってゆくときに、これらの木でできたりっぱな並木道に出くわした。いくつかの木は地上三フィートのところで周囲の寸法をはかると一四ないし一六フィートもあり、一五〇フィートの高さに直立している。薄紫色や青色や白色の大きな房をもった野生のアジサイが、スコッチ・アザミと並んで土手を覆っていた。谷間から最高峰にいたる間のあらゆる丘や山々は、樹木や灌木のこんもりしげった群葉のひとつの密集したかたまりのごとき観を呈していた。カシやカエデやブナやハンノキやクリなども皆ここにあり、ゆたかな秋の色合いに包まれていた。……」
ラザフォード・オールコックの愛犬が、日英の懸け橋に!

ラザフォード・オールコックの愛犬「トビー」の墓
サー・ラザフォード・オールコック卿が1860年に熱海に2週間滞在した折、イギリスから一緒に連れてきたスコッチテリアのトビーが間欠泉からの噴湯に触れ、大やけどをして亡くなりました。その時熱海の人たちはトビーに対して人とかわらない葬儀を行って丁寧に弔い、江戸に戻ったオールコック卿は「可哀想なドビー」と刻まれた石を熱海に送り墓石とし、今もオールコック卿の記念碑とともに立っているそうです。オールコック卿は熱海の人たちのトビーへの手厚い態度に感激し、イギリスへ帰った後も当時あった日本人への偏見に対して「日本人は親切な国民」と弁明しトビーの死は日英の架け橋となりました。
ラザフォード・オールコック が描いた絵
元外科医であったオールコックは画才にも恵まれ、『The Capital of Tycoon』中の多色刷りの挿絵の多くは彼自身によって描かれたものです。同書と挿絵、また関連図書からの抜き書きなどを展示いたします。展示した図書はロンドン版ですが、他にニューヨークで出版された版もあり、新座保存書庫の大久保文庫に所蔵されています。
『大君の都:幕末日本滞在記 上・中・下』の挿絵から