更新日 2014年08月17日
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C・P・ツュンベリー(スウェーデンの医学者・植物学者)
C・P・ツュンベリー の紹介

C・P・ツュンベリー
 C・P・ツュンベリー (Carl Peter Thunberg, 1743~1828) はスウェーデンの医学者・植物学者で、1775(安永4)年8月に長崎に着き、翌年春にオランダ商館長フェイト (Arend Willem Feith) の江戸参府に随行、同年12月離日した。
『1770年から1779年にわたるヨーロッパ、アフリカ、アジア旅行記 (Resa uti Europa, Afrika, Asia, förrättad ären 1770-1779) 』は1788~93年にかけてスウェーデンで出版され、東洋文庫版はその日本に関する部分(第3巻の全部と第4巻の一部)である。
C・P・ツュンベリー の書籍
C・P・ツュンベリー『江戸参府随行記』

C・P・ツュンベリー『江戸参府随行記』
日本帝国は、多くの点で独特の国であり、風習および制度においては、ヨーロッパや世界のほとんどの国とまったく異なっている。そのため常に驚異の目でみられ、時に賞讃され、また時には非難されてきた。地上の三大部分に居住する民族のなかで、日本人は第一級の民族に値し、ヨーロッパ人に比肩するものである。しかし、多くの点でヨーロッパ人に遅れをとっていると言わざるを得ない。だが他方では、非常に公正にみてヨーロッパ人のうえをいっているということができよう。他の国と同様この国においても、役に立つ制度と害をおよぼす制度、または理にかなった法令と不適切な法令の両方が共存していると言える。しかしなお、その国民性の随所にみられる堅実さ、法の執行や職務の遂行にみられる不変性、有益さを追及しかつ促進しようという国民のたゆまざる熱意、そして一〇〇を超すその他の事柄に関し、我々は驚嘆せざるを得ない。このように、あまねくかつ深く祖国を、お上を、そして互いを愛しているこんなにも多数の国民がいるということ、自国民は誰一人国外へ出ることができず、外国人は誰一人許可なしには入国できず、あたかも密閉されたような国であること、法律は何千年も改正されたことがなく、また法の執行は力に訴えることなく、かつその人物の身上に関係なく行なわれるということ、政府は独裁的でもなく、また情実に傾かないこと、君主も臣民も等しく独特の民族衣装をまとっていること、他国の様式がとりいれられることはなく、国内に新しいものが創り出されることもないこと、何世紀ものあいだ外国から戦争がしかけられたことはなく、かつ国内の不穏は永久に防がれていること、種々の宗教宗派が平和的に共存していること、飢餓と飢饉はほとんど知られておらず、あってもごく稀であること、等々、これらすべては信じがたいほどであり、多くに人々にとっては理解にさえ苦しむほどであるが、これはまさしく事実であり、最大の注目をひくに値する。 (pp. 13-14)
通詞は洋書の大愛好家であり、日本へやってくる商人から毎年一冊ないし数冊の洋書を購入する。彼らは本を所有しているだけでなく、それを熱心に読み、かつ学んだことを記憶する。その上、ヨーロッパ人から何かを学ぼうという意欲に燃えており、あらゆる事柄、とくに医学、物理学、自然誌に関してたえず多くの質問をあびせるので、しばしばうんざりさせられる。 (pp. 46-47)
日本の陶磁器は藁を使ってごく丁寧にきちんと荷造りされているので、輸送中に割れることはまずない。これら陶磁器類は、見た目にはたしかに美しくも粋でもなく、どちらかといえば粗野で、厚ぼったく下手な塗りである。したがってこの点では、広東から輸出される中国製品には遥かに劣るが、熱に強いという長所があり、火の上においても簡単にひび割れするようなことはない。 (p. 61)
日本人には平気で放屁するという悪癖がある。ヨーロッパならば大変な不作法となるが、日本人は恥ずべきこととは思っていない。他の点では、礼儀をわきまえた他民族と同じくきちんとしてる。 (p. 77)
まったく奇異に思えるのは、幼女期にこのような家に売られ、そこで一定の年月を勤めたあと完全な自由を取り戻した婦人が、はずかしめられるような目で見られることなく、後にごく普通の結婚をすることがよくあることである。 (p. 81)
日本人にとって、一般に羞恥はあまり美徳ではなく、また不貞はひろく行なわれているようである。女性は時どき仕切りのない場所で入浴しており、オランダ人が一度ならず目の前やそばを通っても、身を隠すような気配はほとんどない。 (p. 81)
日本は一夫一婦制である。また中国のように夫人を家に閉じ込めておくようなことはなく、男性と同席したり自由に外出することができるので、路上や家のなかでこの国の女性を観察することは、私にとって難しいことではなかった。 (p. 82)
既婚女性が未婚者とはっきり区別できるのは、歯を黒くしているからである。日本人の好みでは黒い歯はまさしく美しいものとされている。だが、大半の国なら家から夫が逃げだしてしまうしろものだ。大きな口にぎらぎらした黒い歯が見えるのは、少なくとも私にとっては醜く不快なものであった。 (p. 82)
このような状況に、私は驚嘆の眼を瞠った。野蛮とは言わぬまでも、少なくとも洗練されてはいないと我々が考えている国民が、ことごとく理にかなった考えや、すぐれた規則に従っている様子を見せてくれるのである。一方、開化されているヨーロッパでは、旅人の移動や便宜をはかるほとんどの設備が、まだ多くの場所においてまったく不十分なのである。 (p. 107)
この国民は絶えず清潔を心がけており、家でも旅先でも自分の体を洗わずに過ごす日はない。そのため、あらゆる町や村のすべての宿屋や個人の家には、常に小さな風呂小屋が備えられ、旅人その他の便宜をはかっている。 (p. 121)
注目すべきことに、この国ではどこでも子供をむち打つことはほとんどない。子供に対する禁止や不平の言葉は滅多に聞かれないし、家庭でも船でも子供を打つ、叩く、殴るといったことはほとんどなかった。まったく嘆かわしいことに、もっと教養があって洗練されているはずの民族に、そうした行為がよく見られる。学校では子供たち全員が、非常に高い声で一緒に本を読む。そのような騒々しい場所では、ほとんど聴力を失ったようになる。 (p. 121)
その国のきれいさと快適さにおいて、かつてこんなにも気持ち良い旅ができたのはオランダ以外にはなかった。また人口の豊かさ、よく開墾された土地の様子は、言葉では言い尽くせないほどである。国中見渡す限り、道の両側には肥沃な田畑以外の何物もない。 (p. 129)
私はヨーロッパ人が滅多に入国できないこの国で、長い旅の間に、珍しい道の植物をたくさん採集することができるであろうと想像していた。しかしこうした望みが、この国ほど当てはずれになった所はない。私はここで、ほとんど種蒔きを終えていた耕地に一本の雑草すら見つけることができなかった。それはどの地方でも同様であった。このありさまでは、旅人は日本には雑草は生えないのだと容易に想像してしまうだろう。しかし実際は、最も炯眼な植物学者ですら、よく耕作された畑に未知の草類を見いだせないほどに、農夫がすべての雑草を入念に摘みとっているのである。 (p. 131)
各家に不可欠な私的な小屋〔厠〕は、日本の村では住居に隣接して道路に向けて建てられている。その下部は開いているので、通りすがりの旅人は表から、大きな壷のなかに小水をする。壷の下部は土中に埋められている。尿や糞、また台所からの屑類は、ここでは耕地を肥沃にするために極めて丹念に集められているが、暑熱下にしばしばそこから非常に強く堪え難いほどの悪臭が発生する。 (p. 138)
江戸と都を結ぶ街道のあちこちに、たいていは足に障害のある乞食がいた。この国の他の場所では障害者はごく稀だったので、これは私には極めて異常なことに思われた。 (p. 200)
日本人は体格がよく柔軟で、強靭な四肢を有している。しかし彼らの体力は、北ヨーロッパ人のそれには及ばない。男性は中背で、一般にあまり太っていないが、何回かはよく太った人を見た。 (p. 218)
一般的に言えば、国民性は賢明にして思慮深く、自由であり、従順にして礼儀正しく、好奇心に富み、勤勉で器用、節約家にして酒は飲まず、清潔好き、善良で友情に厚く、率直にして公正、正直にして誠実、疑い深く、迷信深く、高慢であるが寛容であり、悪に容赦なく、勇敢にして不屈である。 (p. 219)
自由は日本人の生命である。それは、我儘や放縦へと流れることなく、法律に準拠した自由である。法律はきわめて厳しく、一般の日本人は専制政治化における奴隷そのものであると信じられてきたようである。しかし、作男は自分の主人に一年間雇われているだけで奴隷ではない。またもっと厳しい状況にある武士は、自分の上司の命令に服従しなければならないが、一定期間、たいていは何年間かを勤めるのであり、従って奴隷ではない。日本人は、オランダ人の非人間的な奴隷売買や不当な奴隷の扱いをきらい、憎悪を抱いている。身分の高低を問わず、法律によって自由と権利は守られており、しかもその法律の異常なまでの厳しさとその正しい履行は、各人を自分にふさわしい領域にとどめている。 (p. 220)
礼儀正しいことと服従することにおいて、日本人に比肩するものはほとんどいない。お上に対する服従と両親への従順は、幼児からすでにうえつけられる。そしてどの階層の子供も、それらについての手本を年配者から教授される。その結果、子供が叱られたり、文句を言われたり打たれたりすることは滅多にない。 (p. 221)
この国民の好奇心の強さは、他の多くの民族と同様に旺盛である。彼らはヨーロッパ人が持ってきた物や所有している物ならなんでも、じっくりと熟視する。そしてあらゆる事柄について知りたがり、オランダ人に尋ねる。それはしばしば苦痛を覚えるほどである。 (p. 222)
この国民は必要にして有益な場合、その器用さと発明心を発揮する。そして勤勉さにおいて、日本人は大半の民族の群を抜いている。彼らの鋼や金属製品は見事で、木製品はきれいで長持ちする。その十分に鍛えられた刀剣と優美な漆器は、これまでに生み出し得た他のあらゆる製品を凌駕するものである。農夫が自分の土地にかける熱心さと、そのすぐれた耕作に費やす労苦は、信じがたいほど大きい。 (pp. 222-223)
節約は日本では最も尊重されることである。それは将軍の宮殿だろうと粗末な小屋のなかだろうと、変わらず愛すべき美徳なのである。節約というものは、貧しい者には自分の所有するわずかな物で満足を与え、富める者にはその富を度外れに派手に浪費させない。節約のおかげで、他の国々に見られる飢餓や物価暴騰と称する現象は見られず、またこんなにも人口の多い国でありながら、どこにも生活困窮者や乞食はほとんどいない。一般大衆は富に対して貪欲でも強欲でもなく、また常に大食いや大酒のみに対して嫌悪を抱く。同時に、土地をタバコや他の無用な栽培には費やさないし、穀物は造酒と称するような有害なものの製造には利用されない。 (p. 223)
清潔さは、彼らの身体や衣服、家、飲食物、容器等から一目瞭然である。彼らが風呂に入って身体を洗うのは、週一回などというものではなく、毎日熱い湯に入るのである。その湯はそれぞれの家に用意されており、また旅人のためにどの宿屋にも安い料金で用意されている。 (p. 223)
正義は広く国中で遵守されている。君主が隣国に不正を働いたことはないし、古今の歴史において、君主が他国に対して野望や欲求を抱いた例は見いだせない。この国の歴史は、外国からの暴力や国内の反乱から自国を守った勇士の偉業に満ちている。しかし他国やその所有物を侵害したことについては、一度も書かれていない。日本人は他国を征服するという行動をおこしたことはないし、一方で自国が奪い取られるのを許したこともない。 (p. 224)
正義と忠実は、国中に見られる。そしてこの国ほど盗みの少ない国はほとんどないであろう。強奪はまったくない。窃盗はごく稀に耳にするだけである。それでヨーロッパ人は幕府への旅の間も、まったく安心して自分が携帯している荷物にほとんど注意を払わない。だがこうした一方で、少なくともオランダ商館に働く底辺の民衆は、桟橋からまたは桟橋への商品の荷揚げまたは荷積みのさいに、特に砂糖や銅をオランダ人からくすねることを罪とは思っていないのである。 (p. 225)
迷信は他の国民に比して、この国民の間により広くより深く行き渡っている。それは彼らがほとんど学問を知らないことと、異教の神学や無知な僧侶らがこの国民に教え込んだ原理によるものである。このような迷信は祭り、神事、神聖なる約束事、ある種の治療法、吉凶による日取りの決め方等々に見られる。 (p. 225)
高慢は国民の大きな誤りの一つといえよう。いくつかのアジア民族が傲慢にも馬鹿げた思い込みをしているように、自分たちの神聖なる起源は神、天、太陽、月に他ならないと思いこみ、自分らは他の人種よりすぐれてると信じこんでいる。とくにヨーロッパ人は劣ると思っている。 (pp. 225-226)
前述した日本人の高慢、正義、そして勇気について知っていれば、この国民が怒りを抱けば、自分の敵に対してまったく容赦しないということについて驚くことはなかろう。彼らは尊大で大胆であると同様にまた、極めて執念深く無慈悲でもある。そして己れの激しい憎悪をむき出しにすることなく、しばしばそれを異常なまでの冷淡さの内に隠し、復讐の好機をねらう。この国民ほど、激情に流されることのない者を、私は知らない。 (p. 228)
貞節は既婚未婚を問わず、まずまず守られてはいるが、それにもかかわらずこの国では不貞はありふれている。相手に不貞をはたらかれて屈辱をうけた者が自殺することもある。また当地では、ある男たちが妾を持つという不名誉な悪習がある。 (p. 282)
一般的に言って、日本の学問はヨーロッパの水準より遥かに劣っている。しかしながら国史は、他のほとんどの国より確かなものであろうとされ、家政学とともに誰彼の区別なくあらゆる人々によって学ばれる。日本人は、自国の繁栄と存続のために最も必要にして有益なものは農業であると考えており、世界で日本ほどことさら農業に重きをおいている国はない。 (pp. 283-284)
工芸は国をあげて非常に盛んである。工芸品のいくつかは完璧なまでに仕上がっており、ヨーロッパの芸術品を凌駕することもある。ただ、一方ではヨーロッパの水準に達しないものがある。日本人は鉄や銅を使って非常に良い仕事をする。絹地や木綿地は、他のインド地域からの生産品より勝ることもあるがほぼ同程度である。漆器製品、それも特に古い物は、これまでにそれを生産した他のどの民族の品にも勝っている。 (p. 287)
日本の法律は厳しいものである。そして警察がそれに見合った厳重な警戒をしており、秩序や習慣も十分に守られている。その結果は大いに注目すべきであり、重要なことである。なぜなら日本ほど放埓なことが少ない国は、他にはほとんどないからである。さらに人物の如何を問わない。また法律は古くから変わっていない。説明や解釈などなくても、国民は幼時から何をなし何をなさざるべきかについて、確かな知識を身につける。そればかりでなく、高齢者の見本や正しい行動を見ながら成長する。国の神聖なる法律を犯し正義を侮った者に対しては、罪の大小にかかわらず、大部分に死刑を科す。 (p. 291)
このような国では農作業についての報酬や奨励は必要ない。そして日本の農民は、他の国々で農業の発達を今も昔も妨げているさまざまな強制に苦しめられるようなことはない。農民が作物で納める年貢は、たしかに非常に大きい。しかしとにかく彼らはスウェーデンの荘園主に比べれば、自由に自分の土地を使える。 (p. 301)
商業は、国内のさまざまな町や港で営まれており、また外国人との間にも営まれる。国内の商取引は繁栄をきわめている。そして関税により制限されたり、多くの特殊な地域間での輸送が断絶されるようなことはなく、すべての点で自由に行なわれている。どの港も大小の船舶で埋まり、街道は旅人や商品の運搬でひしめき、どの商店も国の隅々から集まる商品でいっぱいである。とくに大商業都市はそうである。またこれらの商業都市、とりわけ国の中心地に位置する都では、いくつかの大きな市が催され、品物の売買のために国中から人々がどっと集まる。 (p. 323)