更新日 2014年08月17日
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植民地の宗主国
日本の植民地

日本統治下の経験を有する国・地域。

○ 内地 (本州・四国・九州・北海道・沖縄・千島・小笠原・北大東島・南大東島・硫黄島・北硫黄島・南硫黄島・南鳥島・魚釣島・久場島・沖大東島・竹島・中ノ鳥島・沖ノ鳥島・など)
○ 台湾 (1895年 下関条約による割譲)
○ 南樺太 (1905年 ポーツマス条約による割譲)
○ 関東州 (1905年 ポーツマス条約による租借地承継。満鉄付属地を含む)
○ 朝鮮 (1910年 日韓併合条約による大韓帝国の併合)
○ 南洋群島 (1920年 国際連盟規約による委任統治)

植民地という用語は元々は「開拓地」や「入植地」などと同様に正否の価値判断を含まない一般術語であり、近代植民地法制学においても社会科学の講学上の概念にすぎない]。
外地を「植民地」「殖民地」と呼ぶことへの感情的な反発は明治期からすでに存在しており、いわゆる忌避語・侮蔑語のようなニュアンスがあり、外地を植民地と呼称することは回避され「我国にては斯(植民)の如き公の呼称を法律上一切加えず単に台湾朝鮮樺太等地名を呼ぶ」ことが事実上の慣例となっていた。

語義的な観点ではなく、実質においても「植民地」ではなかったと日本の論壇誌などでしばしば論じられる。これは、同年代に植民地と呼ばれた地域とはその統治の態様(欧米のそれが非人道的、収奪的であるのに対し日本のそれは人道的、恩恵的であるなど)が異なる、あるいは領有に至る経緯(一般に植民地化は無主地先占の法理によって行われることが多かったが、日本の朝鮮や台湾は文明国間の条約による併合や割譲という法形式によって獲得された)が異なるという認識から日本の海外支配地域を植民地と呼ぶのは妥当ではないとするものである。
また、統治の態様が異なっていた根拠として、欧米の旧植民地における学校教育の普及率が日本のそれより低かったこと(これを指して愚民政策の言われることが多い)や、モノカルチャー経済が行われ、工業の発展が阻害されたこと、結果として欧米の植民地の大半が発展途上国に留まっているのに対して、日本統治を経た朝鮮南部と台湾が先進工業地域に成長した事などが挙げられる。

エピソード  (1905年(明治38年)の帝国議会において下記のようなことがあった。)衆議院の委員会において、当時の首相で第二代台湾総督でもあった桂太郎が、台湾は「日本」なのか「殖民地」なのかいう問に、うっかり「無論殖民地であります内地同様には行かぬと考へます」と答えてしまったのである。..中略..この首相発言は、議員達に大きな感情的反発をよんだ。議員側からは、「台湾を殖民地にするとは云ふことは、何れの内閣からも承ったことはない」とか「吾々議員として実にぞっとするではございませぬか」といった非難が出た。