更新日 2014年08月17日
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イギリス資本によるインドの鉄道建設
イギリスの植民地 インドの鉄道建設の背景
18世紀半ばに植民地を多く持っていたイギリスで産業革命が起こり、植民地に対し資源の供給・商品の販売先・資本の投資先としての経済的な役割を強く求めるようになっていた。
特にインドは豊富な天然資源と商品を消費する膨大な人口を抱えていたので、当然英国の企業家達の注目を集めた。
インドを原料資源及び綿製品の消費市場とみた綿業者と投資家達は、自己の営業の拡張と原綿を速かに港へ輸送するために、インドの港から奥地までの鉄道建設を希望した。
また、当時英国において急激に生長しつつあった鉄鋼業は、その販路拡張をインドの鉄道建設に期待した。
産業革命で貿易により蓄積せられた巨額の資本は、政府の保証による鉄道建設のような安全で恒久的な投資を求めていた。
この様なイギリスの事情と共に、インド国内においても軍隊の大量迅速な輸送という軍事目的と海外貿易促進という商業上の目的も存在していた。
当時のインド国内の交通事情は、輸送の為の道路が整備されていない為に、人間・牛・馬などでわずかに国内を移動していただけであった。食料が有り余る程生産される地域が有っても、不足して飢饉が起きている地域に輸送する事も出来ていなかった。毎年のように起きる飢餓救済も大きな要因であった。
イギリス政府が元金利息を保証して、投資を募った
1840年代にイギリスの綿花の輸入の80%位をアメリカに依存していた。アメリカ南部での綿花不作での輸入価格高騰などを回避する為に、輸入先の追加供給地としてインドの開発が必要となり、インドの内陸部への鉄道建設が求められた。
インドに鉄道を敷いた時に一番恩恵を受けるのは、イギリス本国の綿加工業者であり、綿加工業に投資ている投資家達である。加工業者や投資家達が投資効率が良くリスクが少ない方法で、インドに鉄道を建設する政策をイギリス政府に働きかけた。
インドの鉄道建設はイギリスの経済的な理由が動機であり、インドの経済発展やインドの国民生活は全く考慮されてはいない。後で詳しく記すが、イギリスの投資達の投資リスクは全てインド国民の税金で賄われる事に成っている。←ここが重要なポイントです。
インド総督が、1853年にインドの鉄道政策の「覚書」を提示する。
1848年1月 ジェームズ・ラムゼイの総7督着任によって、インド鉄道建設は、藩王国併合政策の強行と共に、単なる植民地特権会社の事業としてでなく、政府の植民地政策の重要な一環としての展開を始める。ジェームズ・ラムゼイ提督は、1850年に鉄道政策に関する基本方針の要点を明らかにするが、更に整理して1853年「覚書」を提示している。そこで示された鉄道建設の目的はほぼ次のようなものであった。

イギリスの政治家、貴族
1848年から1856年にかけてインド総督を務め、近隣諸国領土や藩王国の併合を推進した。
ジェームズ・ラムゼイ提督の「覚書」で示された鉄道建設の目的
  • 1.インド帝国のあらゆる地点に対して,軍事的即応力を著るしく高めること。
  • 2.イギリスの資本と企業をインドへ運ぶこと。
  • 3.「現在の見通しが立たない」状態のインドに商業的,社会的有用性を作りあげること。特に次  の点に注意しつつ一
  • 3.a インドの大きな輸送路に溢れて処理できないような生産物を運鍛すること。
  • 3.b イギリスがその工場のために声高に要求して来た綿花の生産を増大させること。
  • 3.c 「インドの最も遠方の市場に」そして「我々の開拓線を超えて」,ヨーロッパの商品を広く送り込むこと。
  • 3.d 世界の各地から生産物を求めて来た船のひしめく港へ,内陸から生産物を運び出すこと。

1853年4月16日 タナ橋の上を通過するインド亜大陸の最初の旅客列車
植民地支配者の全く独善的な方針で、鉄道建設が進められた。
ジェームズ・ラムゼイ提督は、このような鉄道政策を西洋世界で起ったような社会改善と類似の進歩をもたらすものとみていたが、それがいかにイギリス支配者の独善的な考え方であり、むしろ、イギリス資本の強い要求を担ったものであったかは、その後の展開がよく示して いる。
インド産業と民衆の貧困の中走る巨大な鉄道が、インド経済の再生産にどのようにかかわり、ひいては,鉄道企業の再生産・運営維持・定着がどれほど可能であるか、といった配慮が殆んどなされていないということである。
インドの実態を無視し、インド経済の再生産や鉄道企業の再生産を度噛外視した、植民地支配者の全く独善的な方針であった。 
政府(直接にはインド行政当局)と鉄道会社の契約内容
  • (1)政府(直接にはインド行政当局)は全ての鉄道に土地を準備し,99年間地代をとらない。
  • (2)鉄道会社は資本を全額払込まねばならない。それに対し政府はLondonにおいて年々支払われる5%の利子を保証する。
  • (3)鉄道会社は,ロンドンのそして一部インドの国庫に資本を支払うべきこと,そして,政府は,鉄道設営目的のためにイギリスとインドで要求される貨幣を融通すべきこと,貨幣の全額は1ルピー一1シリンダーQペンスの交換率で支払われ,引き出されること。
  • (4)イギリス人資本家のインド鉄道投資をすすめるため,インド政府は,インドの納税者が負担することになる確かな財政的義務を約束すること。
  • (5)鉄道会社の諸業務は,政府の指揮,統制のもとにあるべきこと。
  • (6)鉄道によって出された純利益は経営費用(working expenses)を差引き後,まず最初に政府によって支払われた保証利子の弁済にふりむけること。その場合,1ルピー一1シリング10ペンスの固定交換率で計算される。いかなる余剰利益(surp!us profits)もこの利子にふりあてられた後は,全て諸会社で自由に使いうるものとなる。
  • (7)政府の郵便は無料で運び,政府職員の運賃などには特権を与える義務を負うこと,即ち
  • (7)a. 官職にあるものは2等料金で1等に,
  • (7)b. 軍人やヨーロッパ技術者は拝撃料金で2等に,
  • (7)c. 他のものは最底料金で乗ることができ,
  • (7)d. 貨物の運搬の場合も,食料品や設備は最低の料金とする。
  • (8)鉄道会社が一般に鉄道の使用を弱るす場合は,政府の認可した期問,料金,運賃であるべきこと。
  • (9)9年間の期限終了時には,鉄道と不動産は全ての負債から解放されて政府の財産となる。そして,鉄道会社は政府に売却されることになり,政府は,全ての機関車,貨車その他の可動的な財,機械,鉄道施設を審査人(referees)によって評価された価額で買入することを義務ずけられる。
  • (10)最初25年或は次の50年間の期限後,政府は鉄道を買収する権利を持つ。その場合,当該会社の全ての証券や株式の価額への支払いは,買収日の前3年間のロンドンの平均市場価値によって計算される。
  • (11)諸会社は,また,鉄道線が少くとも3ケ月間稼働した後は,政府に鉄道を譲渡し,棄権する権利を持つ。
イギリス資本の投資条件が法外な有利さで設定されている。
収益を確保することが難しいのに高い利息を設定している。
証利子率5%は、当時のイギリス資本にとってアメリカへの投資などに比べれば最高の条件ではなかったが、イギリス国内鉄道会社の配当率が下る傾向を持っていたG847年普通株7%、保証・優先株lL8%、1852年普通株3%、保証・優先株5.4%)事情を考えれば、極めて好条件であったと考えられる。また、インドの悪条件のもとでの利益実現の可能性からみれば、全く法外な率であったことはその後の状況が示している。
資本家の投資リスクを政府が保証している。
鉄道会社の損失が当初から予定され、政府によるその損失負担があらかじあ制度化された点である。保証利子は政府によってまず立て替えられ、もし鉄道会社が立ちいかなくなった時は政府がしかるべき値で買収に乗り出すという形で、イギリス資本の利益は政府の負担において確保されることが制度化されたのである。
これらの契約の後で、インド政府は財政支出で巨大な鉄道保証利子を支出し続ける。
後に述べるように、インド財政の支出項目、公共事業支出項目の中に巨額の鉄道保証利子支払いの項目をこの時以来持つことになる。
インドの経済および民衆の利益は軽んじられたばかりでなく,上記のような施策はインドの民衆の租税負担,主として地税一地代,アヘン収入,塩収入によって支えられた点である。
1853年時のインド財政の「純収入総額の約5分の3は地税収入であり、7分の1はがアヘン収入、9分の1強が塩収入である。この三つの財源を合わせると,、総収入の85%に達する。」
投資家の目的の為に、鉄道経営の採算は無視された。
ここで特に注意しておくべき点は、旧元利保証制鉄道会社という企業形態或は鉄道政策は、インドにおける原料と市場のルートの早急な建設と投下された資本の利益を確保するという、イギリス資本の当面の要求を優先し、その会社の採算、いわば企業の再生産は一応度外視されていたという事である。 

1882年インドの鉄道敷設状況

旧元利保証制鉄道会社

インドの鉄道投資 一門元利保証制鉄道会社一
1850~51年までの累計