更新日 2017年09月22日
トップページ
呼称「大東亜戦争」は閣議決定されている。
1941年12月8日、日本は開戦の詔勅により宣戦布告する。
1941年(昭和16年)12月8日、日本は開戦の詔勅(米國及英國ニ對スル宣戰ノ詔書)によってイギリス帝国とアメリカ合衆国の2国に対して宣戦布告し、最初の作戦であるマレー作戦と、それとほぼ同時並行に行われた真珠湾攻撃を実施、日本とイギリス、アメリカとの間に戦争が発生した。
発生以前の検討の時期から発生後まもなくは、「対英米蘭戦争」「対英米蘭蒋戦争」など交戦相手の名を用いた戦争名が用いられていた。("蒋"は蒋介石の略)
1941年12月10日、大本営政府連絡会議
2月10日の大本営政府連絡会議は「今次戦争ノ呼称並ニ平戦時ノ分界時期ニ関スル件」を決定、「支那事変ヲモ含メ大東亜戦争ト呼称ス」とされた。
[大本営政府連絡会議]とは、大本営と政府間の協議のための会議である。大本営の最高意思決定機関は「大本営会議」で、統帥権の独立により、出席できるのは天皇と陸軍・海軍の統帥幹部に限られていた。そこで政府首脳との意思統一・疎通の場として、連絡会議が設置された。議長は内閣総理大臣、政府から外務・大蔵・陸軍・海軍各大臣と企画院総裁、統帥部からは参謀総長・軍令部総長(場合によっては次長も)が出席した。また内閣書記官長と陸軍省・海軍省の軍務局長が幹事として出席した。

統師:大日本帝国憲法に定められた権限で、天皇が陸軍や海軍を統帥する
大本営:陸軍および海軍を支配下に置く天皇直属の最高統帥機関
大本営会議:大本営の最高意思決定機関で、統帥権の独立により、出席できるのは天皇と陸軍・海軍の統帥幹部に限られていた。
大本営政府連絡会議:大本営会議に出席できない政府首脳との意思統一・疎通を行う会議
御前会議:大日本帝国憲法下の日本において、天皇臨席の下で重要な国策を決めた会議(天皇による意思の表明・発動は天皇自らにその責任が及ぶため好ましくないとされ、たとえ出席しても一言も発しないことが多かった。)
1941年12月12日、東條内閣により[閣議決定]される。
12月12日には東條内閣の閣議において、「今次戦争ノ呼称並ニ平戦時ノ分界時期等ニ付テ」が閣議決定された。
「今次戦争ノ呼称並ニ平戦時ノ分界時期等ニ付テ」 閣議決定の内容
  • 一、今次ノ対米英戦争及今後情勢ノ推移ニ伴ヒ生起スルコトアルヘキ戦争ハ支那事変ヲモ含メ大東亜戦争ト呼称ス
  • 二、給与、刑法ノ適用等ニ関スル平時、戦時ノ分界時期ハ昭和十六年十二月八日午前一時三十分トス
  • 三、帝国領土(南洋群島委任統治区域ヲ除ク)ハ差当リ戦地ト指定スルコトナシ但シ帝国領土ニ在リテハ第二号ニ関スル個々ノ問題ニ付其他ノ状態ヲ考慮シ戦地並ニ取扱フモノトス
同日、内閣情報局が戦争地域と戦争目的を発表する。
同日内閣情報局は「今次の對米英戰は、支那事變をも含め大東亞戰爭と呼稱す。大東亞戰爭と呼稱するは、大東亞新秩序建設を目的とする戰爭なることを意味するものにして、戰爭地域を主として大東亞のみに限定する意味に非ず」と発表され、戦争目的はアジア諸国における欧米の植民地支配の打倒を目指すものであると規定した。しかし、日本の戦争目的については、「自存自衛」とするもの、また「自存自衛」「大東亜新秩序形成」の二本立て、また「大東亜新秩序形成」のみが戦争目的とするものの間で当時見解が分かれていた。
[大東亜]とは?
日本・満州国・中華民国を一つの経済共同体(日満支経済ブロック)とし、東南アジアを資源の供給地域に、南太平洋を国防圏として位置付けるものと考えられており、「大東亜が日本の生存圏」であると宣伝された。但し、「大東亜」の範囲、「共栄」の字義等は当初必ずしも明確にされていなかった。
[大東亜共栄圏]とは?
大東亜共栄圏は、アジアの欧米列強植民地をその支配から独立させ、大日本帝国・満州国・中華民国を中心とする国家連合を実現させるものであるとされた。大東亜共同宣言には、『相互協力・独立尊重』などの旨が明記されている。これを、現在の欧州連合のような対等な国家連合を志向したものとする解釈もある。
一方で、大東亜共栄圏を構成していたフィリピン第二共和国、ラオス王国、ビルマ国、満州国の政府と汪兆銘政権(中華民国)は、実際にはいずれも日本政府や日本軍の指導の下に置かれた傀儡政権または従属国にしかすぎず、実質的には日本による植民地支配を目指したものに過ぎなかったとする意見もある。特に、フィリピンとビルマには既に民選による自治政府が存在しており、日本の影響下に置かれた大東亜共栄圏内にあっては選挙等の民主的手続きによらず、政府首脳には日本側が選任した人物(親日的、協力的な人物)が就任していたため、実質的な独立からはむしろ遠ざかったという見方もある。これらについては戦時下故の過渡的な措置であり、終局的には完全な独立が意図されていたという反論もある。
[閣議決定]の詳細は、別ページで説明しています。
戦後、占領軍指令により、「大東亜戦争」の使用が禁止される。
1945年12月15日 連合国軍最高司令部指令(神道指令)により「大東亜戦争」という名称の使用は禁止され、「太平洋戦争」と呼ぶことを強要された。
国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件
昭和二十年十二月十五日連合国軍最高司令官総司令部参謀副官発第三号(民間情報教育部)終戦連絡中央事務局経由日本政府ニ対スル覚書
一 国家指定ノ宗教乃至祭式ニ対スル信仰或ハ信仰告白ノ(直接的或ハ間接的)強制ヨリ日本国民ヲ解放スル為ニ戦争犯罪、敗北、苦悩、困窮及ビ現在ノ悲惨ナル状態ヲ招来セル「イデオロギー」ニ対スル強制的財政援助ヨリ生ズル日本国民ノ経済的負担ヲ取り除ク為ニ神道ノ教理並ニ信仰ヲ歪曲シテ日本国民ヲ欺キ侵略戦争ヘ誘導スルタメニ意図サレタ軍国主義的並ニ過激ナル国家主義的宣伝ニ利用スルガ如キコトノ再ビ起ルコトヲ妨止スル為ニ再教育ニ依ッテ国民生活ヲ更新シ永久ノ平和及民主主義ノ理想ニ基礎ヲ置ク新日本建設ヲ実現セシムル計画ニ対シテ日本国民ヲ援助スル為ニ茲ニ左ノ指令ヲ発ス
一(イ) ~ 一(リ) は省略
一(ヌ)公文書ニ於テ「大東亜戦争」、「八紘一宇」ナル用語乃至ソノ他ノ用語ニシテ日本語トシテソノ意味ノ連想ガ国家神道、軍国主義、過激ナル国家主義ト切り離シ得ザルモノハ之ヲ使用スルコトヲ禁止スル、而シテカカル用語ノ却刻停止ヲ命令スル
一(ル)~ 四 は省略
詳細は、[連合国軍最高司令部指令:文部科学省]を参考にしてください
国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件
昭和二十年十二月十五日連合国軍最高司令官総司令部参謀副官発第三号(民間情報教育部)終戦連絡中央事務局経由日本政府ニ対スル覚書
連合国軍最高司令部が「大東亜戦争」の使用を禁止した理由
1941年12月12日に東條内閣の閣議において、「今次戦争ノ呼称並ニ平戦時ノ分界時期等ニ付テ」が閣議決定され、「大東亜戦争」と命名された。以後、日本ではポツダム宣言を受け入れて件降伏するまで、この戦争を「大東亜戦争」と呼び続けている。この期間、公文書・教育・新聞報道全てで使われている。

1942年2月16日の朝日新聞 左側に[大東亜戦の大局を決す] と大きな文字で書かれている。

右下に発行詳細が印刷されている
初版昭和16年6月1日印刷発行
昭和18年7月30日 改訂7版発行
國際地學協會編輯輯部
日本の戦争目的が、連合国軍最高司令部には都合が悪かった。
「大東亜戦争」と唱えて戦った日本には、「自存自衛」「大東亜新秩序形成」の為に戦う大儀(目的)が有り、国民もその目的を理解し協力をして戦ったのである。
戦争前のアジアで独立国は日本とタイの二国しか無く、それ以外の地域は白人の植民地として支配されていた。この状況で日本が戦争を起こした目的として、インドから東南アジア、中国大陸、日本列島に至る「東アジア(東亜)」から欧米諸国の植民地政府を追い出し、彼らの人種差別に苦しむ時代を終わらせ、日本を中心に「大東亜共栄圏」という共同体を構築することで新たな秩序を築くことが目的で有ったと植民地支配されている地域の人たちに解ってしまうことは都合が悪かった。
「大東亜戦争」という名称は、そのような「大義」を表していたのである。
そのため、そのような日本の戦争大義の表われである「大東亜戦争」という名称を禁止し、代わりに「太平洋戦争」という名称を強制したわけである。
つまり、連合国がこの戦争の名称を「大東亜戦争」から「太平洋戦争」へ変更させたのは、上記のような「東アジア諸国を欧米植民地から独立させたのは日本である」という歴史的事実を我々日本人に対して隠蔽し、 日本人は過去に悪いことをしたのだという罪悪感だけを強烈に植え付けるための占領政策だったのです。
サン・フランシスコ講和条約で主権を回復した時に、「大東亜戦争」に戻すべきであった。
大東亜戦争に敗れた日本は、「太平洋戦争」という勝利者の歴史観を「閉ざされた言語空間」の中で教え込まれてきたのだ。それは、勝利者にとっての歴史認識であり、敗者にとっての歴史認識ではない。しかし、所詮、「勝てば官軍、敗れば賊軍」の世界。GHQの熾烈な事前検閲によって強制的に勝利者の「太平洋戦争史」のみを許すという「閉ざされた言語空間」の中で育まれてきた「特異」な歴史観が醸成されてきた訳だ。熾烈かつ執拗なGHQの事前検閲の下で、時がたつに従って、強制的に押し付けられた歴史観は不思議なもので「自発的な」もの、「習慣的な」ものに成ってしまった。
サン・フランシスコ講和条約の発効と共に主権を回復した時点で、「神道指令」の強制力は既に失効したのだが政府はなんら手を打たず、あたかも「神道指令」が効力を持つ如く「今次の戦争」、「先の戦争」、或は「第二次世界大戦」など、「太平洋戦争」という名称は使用してなくとも自らの歴史観を取り戻すことはしなかったのだ。
21世紀を生きている私(このホームページの管理人)が考えると政府の無責任が悔やまれるが、当時の状況では出来なかったであろうことも伺える。このテーマも後日検証していきたい。