更新日 2017年09月22日
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日本の戦争謝罪 天皇・首相・閣僚の謝罪発言
1995年8月15日 - 村山富市首相
(戦後50周年の終戦記念日にあたっての村山首相談話。いわゆる村山談話)
村山内閣総理大臣談話
「戦後50周年の終戦記念日にあたって」(いわゆる村山談話)

平成7年8月15日
「先の大戦が終わりを告げてから、50年の歳月が流れました。今、あらためて、あの戦争によって犠牲となられた内外の多くの人々に思いを馳せるとき、万感胸に迫るものがあります。
敗戦後、日本は、あの焼け野原から、幾多の困難を乗りこえて、今日の平和と繁栄を築いてまいりました。このことは私たちの誇りであり、そのために注がれた国民の皆様1人1人の英知とたゆみない努力に、私は心から敬意の念を表わすものであります。ここに至るまで、米国をはじめ、世界の国々から寄せられた支援と協力に対し、あらためて深甚な謝意を表明いたします。また、アジア太平洋近隣諸国、米国、さらには欧州諸国との間に今日のような友好関係を築き上げるに至ったことを、心から喜びたいと思います。
平和で豊かな日本となった今日、私たちはややもすればこの平和の尊さ、有難さを忘れがちになります。私たちは過去のあやまちを2度と繰り返すことのないよう、戦争の悲惨さを若い世代に語り伝えていかなければなりません。とくに近隣諸国の人々と手を携えて、アジア太平洋地域ひいては世界の平和を確かなものとしていくためには、なによりも、これらの諸国との間に深い理解と信頼にもとづいた関係を培っていくことが不可欠と考えます。政府は、この考えにもとづき、特に近現代における日本と近隣アジア諸国との関係にかかわる歴史研究を支援し、各国との交流の飛躍的な拡大をはかるために、この2つを柱とした平和友好交流事業を展開しております。また、現在取り組んでいる戦後処理問題についても、わが国とこれらの国々との信頼関係を一層強化するため、私は、ひき続き誠実に対応してまいります。
いま、戦後50周年の節目に当たり、われわれが銘記すべきことは、来し方を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を望んで、人類社会の平和と繁栄への道を誤らないことであります。
わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。
敗戦の日から50周年を迎えた今日、わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。同時に、わが国は、唯一の被爆国としての体験を踏まえて、核兵器の究極の廃絶を目指し、核不拡散体制の強化など、国際的な軍縮を積極的に推進していくことが肝要であります。これこそ、過去に対するつぐないとなり、犠牲となられた方々の御霊を鎮めるゆえんとなると、私は信じております。

「杖るは信に如くは莫し」と申します。この記念すべき時に当たり、信義を施政の根幹とすることを内外に表明し、私の誓いの言葉といたします。 」
(出典:“「戦後50周年の終戦記念日にあたって」(いわゆる村山談話)”. 外務省ホームページ. 2013年8月17日閲覧。)
談話を発表したあとの記者会見での質疑応答
以上であります。
ご質問をいただく前に、私の方から一言申し上げておきたいと思いますが、イギリスのメージャー英首相あて書簡について、イギリスのいろいろな報道がなされておりますが、このことについて一言説明を申し上げたいと存じます。
私はメージャー首相の保守党党首再選に対し、お祝いの書簡をお送りいたしました。他方、今年は戦後五十周年という年でもありますが、戦争捕虜の皆さんが先の戦争中の日本軍の捕虜収容所で受けた待遇等について、依然、激しい感情を抱いていると言うようなことも聞いております。したがって、その書簡の中で従来より私が明らかにしている気持ちを改めて表明をさせていただいた次第であります。
すなわち、我が国の過去の行為が戦争捕虜を含め、多くの人々に深い傷を与えたことに対し、深い反省とお詫びの気持ちを有しているということについて申し述べたところでございます。また、この気持ちを本日の総理談話でも、一層、明らかにしたところでございますから、そのようにご理解を賜りたいと存じます。
以上です。
記者質問 ‐ 談話の中で総理は、「国策を誤り」という表現、更に「侵略」と「植民地支配」ということを明確に表現されてますが、この表現から当時の政策決定全体に何らかの責任があるというふうに、我々は読めるのですが、この表現の持つ意味、それから当時、日本の元首であり、統治権を総攬する立場にあった天皇も含めて、責任の及ぶ範囲をどのようにお考えか。お伺いできますか。
○総理 天皇の責任問題につきましては、戦争が終わった当時においても、国際的にも国内的にも陛下の責任は問われておりません。今回の私の談話においても、国策の誤りをもって陛下の責任を云々するというようなことでは全くありません。天皇陛下がひたすら世界の平和を祈念しておられ、先の大戦に際しても、解除をするための全面的に努力もされており、また、戦争終結のご英断を下されたことは良く知られているところであると思います。私は、植民地支配と侵略といったようなことにつきましては、あの戦争によって、多くの国々、取りわけアジア近隣諸国の国々に対して、多大の損害と苦痛を与えてきたという認識については、明確に申し上げておいた方がいいと、同時にそのことについて謙虚に反省もし、国民全体としてお詫びの気持ちを表すということが、五十年の節目にとって大事なことではないかというふうに考えて申し上げたところであります。
記者質問 ‐ 次に、諸外国から戦争被害者、個人の方から、日本政府に対して賠償請求が相次いでおりますが、従来、日本政府は、これに対して裁判所の判断に任せるという対応を取っていますが、今回の談話でこれだけ明確に責任の所在を表明された以上、今後、訴訟や各種要求に対して、どのような対応を取られていくのか、変更があるのか、お伺いしたいと思います。
○総理 従軍慰安婦の問題を始めですね、諸外国の人々から損害賠償や国家補償を求める訴訟が提起されていることは承知をいたしております。しかし、先の大戦に係わる賠償、財産請求権の問題につきましては、日本政府としては、既にサンフランシスコ平和条約、二国間の平和条約及びそれとの関連する条約等に従って誠実に対応してきたとこでございます。したがって、我が国はこれらの条約等の当事国との間では、先の大戦に係わる賠償、財産請求権の問題は、所謂、従軍慰安婦の問題等も含めてですね、法的にはもう解決が済んでいるというふうに思っておりますので、今お話のございましたような個人補償を国として行う考えはございません。このような立場に立って、所謂、従軍慰安婦の問題等、現在取り組んでおる戦後処理の問題についてはですね、これからも誠意を持って対応していきたいというふうに考えておるとこであります。
記者質問 ‐ 「国策を誤り」とありますけれども、これだけ断定的に言われる以上は、どの内閣のどの政策が誤ったかという認識があるか、明確にお示しください。
○総理 戦後五十年の節目の年に、あの当時のことを想起してまいりますと、やっぱり、今申しましたようにアジア近隣諸国、多くの国々において、多大の損害とその苦痛を与えてきたというこの事実はやっぱりきちっと認識をする必要があるというふうに思いますから。どの時期とかというようなことを断定的に申し上げることは適当ではないのではないかというふうに考えています。
記者質問 ‐ 侵略について。これまで侵略行為と言ってきたことを侵略と言い換えた理由は何ですか。
○総理 これは先程来申し上げておりますように、過去の一時期に、そうした行為によって、多くの国々、取りわけアジア近隣諸国の皆さんに多大の損害と苦痛を与えてきたということを認識をする、その認識を表明したのでありまして侵略行為とか侵略とかいう言葉の概念の使い分けをしている訳ではございません。
○総理 どうもありがとうございました。
歴史的事実を積極的に示し、謝罪外交と決別する機会だった
河野談話・村山談話を行う前に、近隣諸国の歴史・国民性・外交方針を十二分に研究しておくべきであった。国内問題を取り扱うような安易さで近隣諸国と外交を行った事が大きな過ちである。十分な調査・準備を怠った事が、現在の"土下座外交"と揶揄される外交を招いている。
現在での研究しなくても判っている近隣諸国の外交の特徴
  • 我国からの謝罪を認める意思が無い
  • 国家間で結んだ条約より、司法が優越する事を認めている。(戦時徴用で住金・三菱重工に賠償命令)
  • 国家間で結んだ条約を無視し、解決済事項の謝罪・賠償を求める(慰安婦問題)
  • 二国間の外交問題を無関係の国でロビー活動を行い、我国の名誉を貶める(慰安婦の像)
  • 自国の歴史認識での、極端な内政干渉(靖国問題)
  • 自国の歴史認識での、極端な教育(反日教育)
  • 歴史的事実の捏造・改竄(尖閣・竹島問題)
  • [親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法]で、日韓併合条約を締結した李完用の子孫9名から154筆、約25万4906平方メートル(36億ウォン相当、日本円で約4億8000万円)の土地を没収し、韓国政府に帰属させる旨の決定を下した。
  • 自国民への言論弾圧・偏ったマスコミ報道(韓国における言論統制政策)
  • 他国の災害・事故を喜び、軽薄な満足感・優越感を感じる国民性
  • 国家間の外交パワーでは、日本は押し込まれている。多少の軋轢・摩擦が起こる事を覚悟して、中間地点まで押し返すべきであった。問題を先延ばしにした結果、多少の軋轢・摩擦では済まない程に問題が大きくなっている。
    1977年吉田清治の[朝鮮人慰安婦の強制連行証言-自らの証言を創作と認める]から始まる慰安婦問題だが、35年経つが一向に解決が出来ていない。同じ外交姿勢では、今後同じ年数の35年掛けても解決は出来ないであろう。
    謝罪を受け入れる意思のない国に謝罪を続ける事は無意味である。今後は、無関係の国でロビー活動を行い我国の名誉を貶める事が、最大の外交損失となってくる。我国は、毅然とした強い姿勢を示さなければいけない時期に来ている。同じ過ちを繰り返すことは許されない。
    「国策を誤り」の文言が、初めて挿入された。
    「国策を誤り」云々の文言が、初めて挿入された。「国策を誤り」を明確に認めたため、その後、責任の主体や対象となる具体的な政策・時期について活発な議論が行われる事となった。
    国際外交を進める上で、問題解決する為に謝罪を行い、外交問題解決に向かう区切りとしなければいけない時に、「国策を誤り」と談話に導入した事が、逆に問題を提起している。
    この「国策を誤り」が結果的に、慰安婦問題などの議論を進めさせる事に少なからず関与している。
    村山談話においては、天皇責任の不問化が確認された
    村山談話においては、天皇責任の不問化が確認されています。
    天皇の責任問題については「戦争が終わった当時においても、国際的にも国内的にも陛下の責任は問われておりません。」として、「今回の私の談話においても、国策の誤りをもって陛下の責任を云々するというようなことでは全くありません。」と、その存在を否定した。
    天皇という日本の象徴が責任を負うという形式的な責任論を求める海外勢力に対し、村山談話はある意味では、国体擁護を確定した意味があると評価できる。
    想定内の質問なので答弁の準備が出来ていたのであろう。天皇責任を否定している。ここで、失言・肯定を含む発言をしていたら今頃は、靖国問題・慰安婦問題・教科書問題と同じように天皇の責任が外交問題になっていた可能性がある。
    余談ですが、昭和天皇は三度退位を覚悟されています。
    一回目は昭和20年(1945年)8月29日、昭和天皇は木戸幸一内大臣に「戦争責任者を連合国に引き渡すは真に苦痛にして忍びがたきところとなるが、自分一人引き受けて、退位でもして収める訳には行かないだろうか」と述べられています。当時、言われていたのは天皇は皇太子に譲位して高松宮を摂政とするものでした。しかし、木戸内大臣は退位を言い出せば共和制論議がおこったり、戦争犯罪者と認めたとして訴追される可能性があるとして反対し、鈴木貫太郎も「今、退位すれば日本は混乱する。在位のまま戦争責任(道義的責任)を負っていかねばならぬ」と考え、結局思いとどまることになります。
    二回目は東京裁判の判決のときで、このときはGHQ総司令のマッカーサーの反対にあいます。これは朝鮮半島情勢や東ヨーロッパの情勢で共産勢力が台頭しており、マッカーサーは日本をアジアの反共の砦にしたかったため、この時期の退位は共産勢力を助長することになると考えたためと言われています。
    三回目はサンフランシスコ講和条約のときで、「皇室だけなんら責任をとらないのは割り切れぬ空気を残すことになる」という論調のもとによるものです。しかしこのときは吉田茂首相の反対にあってかないませんでした。国会で中曽根康弘が天皇退位について吉田茂首相に質問したところ、吉田首相は中曽根を"非国民”呼ばわりしたそうです。
    『損害賠償や国家補償は、法的にはもう解決が済んでいる』と言及
    『先の大戦に係わる賠償、財産請求権の問題につきましては、日本政府としては、既にサンフランシスコ平和条約、二国間の平和条約及びそれとの関連する条約等に従って誠実に対応してきたとこでございます。したがって、我が国はこれらの条約等の当事国との間では、先の大戦に係わる賠償、財産請求権の問題は、所謂、従軍慰安婦の問題等も含めてですね、法的にはもう解決が済んでいるというふうに思っておりますので、今お話のございましたような個人補償を国として行う考えはございません。』と賠償・補償を否定している。
    村山談話以降の内閣は、村山談話を継承する事を確認される事となった。
    橋本内閣 1996年(平成8年)1月24日
    橋本龍太郎内閣総理大臣は、衆議院本会議の代表質問において本談話の今後の取り扱いを問われ、本談話の意義を踏まえて対アジア外交を進めていく旨、答弁した。
    小渕内閣 1998年(平成10年)8月11日
    小渕恵三内閣総理大臣は、衆議院本会議の代表質問において歴史認識について問われ、本談話の基礎の上に立って外交を行っていく旨、答弁した。
    森内閣 2000年(平成12年)11月22日
    森喜朗内閣総理大臣は、参議院予算委員会において「かつての戦争」についての認識を問われ、「95年の村山内閣総理大臣談話というもの、これが我が国の過去の問題についての政府としての正式な見解でございます。これに基づいて、特に周辺近隣アジア諸国とはこの精神をしっかり受けとめて、そして外交交渉を進めていくということが大事だと考えております。」と答弁した。
    小泉内閣 2005年(平成17年)8月15日の終戦の日
    小泉純一郎内閣総理大臣は、村山談話を踏襲した『小泉内閣総理大臣談話』を発表して、再びアジア諸国に謝罪した。
    第1次安倍内閣
    小泉の後を受けた安倍晋三内閣総理大臣は、保守派として知られ、首相就任以前に村山談話に対し批判的な発言をしていたため、首相就任後、村山談話にどのような態度を取るかが注目されていた。
    2006年(平成18年)10月5日
    安倍首相は、衆議院予算委員会で、村山談話について「アジアの国々に対して大変な被害を与え、傷を与えたことは厳然たる事実」であることは「国として示した通りであると、私は考えている」とし、これを1993年(平成5年)の河野談話とともに、「私の内閣で変更するものではない」と明言した。
    福田康夫内閣 2008年(平成20年)5月7日
    福田康夫内閣総理大臣は、中華人民共和国の胡錦濤国家主席の日本訪問を受け、日中首脳会談に臨んだが、首脳会談後の共同声明では村山談話について一切言及しなかった。
    福田は自由民主党総裁選挙における総裁候補だった2007年(平成19年)9月19日、日本外国特派員協会での記者会見にて「首相が言ったことだから正しいものと考える必要がある」と述べ、同じく候補者の麻生太郎も「歴代内閣は皆、同じことを申し上げてきている」と発言している。
    麻生内閣 2008年(平成20年)10月2日
    麻生太郎内閣総理大臣は、衆議院本会議の代表質問において、村山首相談話を受け継ぐのかどうか問われ、村山談話や小泉談話は「さきの大戦をめぐる政府としての認識を示すものであり、私の内閣においても引き継いでまいります。」と答弁した。なお、同年11月、政府見解と異なる認識を示した論文を発表したとして航空幕僚長を更迭され、退職した田母神俊雄は、参考人として招致された参議院外交防衛委員会の席で、「いわゆる村山談話なるものを公然と批判したことは全くありませんし、論文の中でも全く触れておりません。」とした上で、「村山談話と異なる見解を表明したということで更迭をされた」との認識を示した。
    鳩山由紀夫内閣 2009年(平成21年)9月21日(日本時間22日)
    アメリカ合衆国のニューヨークにおいて、中華人民共和国の胡錦濤国家主席と会談した鳩山由紀夫内閣総理大臣は、「互いの違いを乗り越えられる外交をするのが友愛の外交だ」とした上で、「村山富市首相談話を踏襲する」と表明した
    村山談話の評価
    外交として強い態度で押し返すのでは無く、謝罪する事により一歩後退し、天皇責任の不問・損害賠償や国家補償の法的解決済みを、談話と記者との質疑応答に盛り込んだ事になります。結果として、名誉・プライドを捨て実を取った事になりますね。言い換えると、謝罪は繰り返すが天皇責任と賠償は認めない事になります。
    以降の内閣が村山談話を継承するのは、絶対に譲れない[天皇責任の不問・損害賠償や国家補償の法的解決済み]を継承している事になります。
    不安定な政治が続いている中での、社会党・自民党の連立政権です。将来を見据えた毅然とした外交政策を求める事は無理があったでしょうね。立場・考え方により歴史認識は違います。村山談話の評価は次世代の歴史学者が行うでしょう。