更新日 2014年08月17日
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杉原 千畝(すぎはら ちうね) 記念碑
マサチューセッツ州チェスナット・ヒルにあるエメス寺院

2000年4月30日完成 『杉原の命のビザ』受給者のサムイル・マンスキーが中心になって作られた。
杉原千畝
在リトアニア 日本国領事
激動の1939-1941年の間に在勤
杉原氏により給付された二千あまりのビザは、
六千のユダヤ人の命を救い、後に三世代、
三万六千の命の源となる。
獅子のような心を持つ力ある者
サムエル記II.17:10
御影石でできており、英語、ヘブライ語、日本語で表記されています。また、杉原さんの顔も刻み込まれています。この記念碑は、日本の灯篭に似せてつくった照明装置をそなえた日本庭園に建てられています。玉石が敷き詰められた小道が追憶の碑まで続き、そこから石畳の道を行くと杉原さんの記念碑にたどり着きます。
2000年の4月30日、エメス寺院の敷地内で、杉原さんの記念碑の献呈式がおこなわれました。日本人とユダヤ人コミュニティから約600人が参加しました。さかまきのりこさんの指揮するボストンの日本人の合唱団とゲンナジー・コニコフが指揮するエメス寺院の聖歌隊、シライ・エメスが共演し、日本語と英語とヘブライ語の歌を歌ったのです。また、昭和ボストン校の生徒による千羽鶴の贈呈式も行われました。この場をお借りして、ボストン小児科病院の研究員である、さかもとまさ氏と、在ボストン日本領事館のご助力に感謝申し上げたいと思います。
『 杉原の命のビザ 』 受給者のサムイル・マンスキーが中心になって作られた。杉原千畝生誕100年記念での、サムイル・マンスキーのスピーチから一部を下記に抜粋。
『1940年8月9日、杉原領事が日本経由のキュラソー島行きの通過ビザを私の家族に発給してくださいました。そして、1941年2月24日、私たちは敦賀に到着しました。小さな家々が立ち並ぶ、花にあふれ、美しい町並みをした、非常に礼儀正しい人々の住むおとぎの国、これが敦賀の第一印象でした。私は、敦賀で初めてバナナを食べましたが、あんなに美味しい物を食べたのは生まれて初めてでした。その後、敦賀から神戸へ移動し、神戸で2ヶ月過ごしました。もし、アメリカ行きのビザが受給されるということがわかっていたら、日本での滞在をもっと楽しめたと思います。しかし、世界の情勢が悪化するにつれ、私たちの心配もつのっていきました。神戸の町を散歩したり、お店をのぞいたりして、ビザがおりるまでの時を過ごしました。私には、言葉の障壁がありました。日本人の中には、ロシア語やドイツ語を話される方がいらっしゃいましたが、私はいつもイディッシュ語でこたえていました。他の日本人とは手を使ってコミュニケーションをとりました。2ヵ月後の、1941年4月30日、私たちは自由へのパスポートを手にいれました。5月18日にワシントン州のシアトルに到着し、そこからボストンへ移動して父と合流しました。ボストン到着後、移民のための夜間学校に入学し英語を学び始めました。昼間は働き、夜は学校に通ったのです。私はずっと大学に通いたいと思っていました。しかし、ポーランドにおいて、ユダヤ人の私が大学に行くということなど考えられないことでした。しかし、アメリカでは、ボストン大学に入学し、1948年に、経営学部を卒業することができたのです。また、1982年にボストン大学の教養学部大学院に入学し、翌年、卒業することができました。ポーランドでは、大学に通うということは私の夢でした。この夢が実現したのは、杉原さんの気高い行動のおかげなのです。』
リトアニア ビリニュスの桜公園

左側に杉原千畝氏のモニュメント、右上段に早稲田大学寄贈の説明文 右中段は杉原ビザのモニュメント
傍らに、桜の木が数十本植樹されています。
第一回 桜植樹祭 2001年10月2日
リトアニアから、アダムクス・リトアニア大統領、クジス圏知事、ヴィリ二ュス市長、リトアニア・ユダヤ協会会長、日本からは、内藤リトアニア全権特命大使、早稲田大学副総長、杉原千畝の妻、幸子夫人、有志百数十名が参加され、小雨の中、午前九時に顕彰碑除幕ではじまり、大統領はじめ関係各位による祝辞や杉原の功績を称える賛辞がつづき、幸子夫人がこれに答礼されたあと、桜の苗木(幹寸2~3cm,高さ約150cm)の植樹が行われた。
式典の締め括りには、小学生たちの手によって折られた折り鶴の付いた風船が空高く放たれ、アクロバット飛行の世界チャンピオンの妙技が披露された。
第二回 桜植樹祭 2003年4月24日
古都カウナスのネムナス河の中洲のネムノ島公園にて、リトアニアからカウナス市長、日本から金安臨時大使、日本さくら交流協会会長代理等の祝辞が述べられた後、両国歌の演奏とともに、地元の小学生たちが手にする、黄・赤・緑のリトアニアの国旗をイメージする風船が空一杯に放たれ、大勢のカウナス市民が見守るなか100本の桜の苗木が植樹された。

2007年5月26日 リトアニア国ビリニュス市の桜公園にある[杉原千畝記念碑]にお立ち寄りになる天皇皇后両陛下
5月26日ビリニュス発共同通信は、リトアニア大統領ヴァルダス・アダムクスが歓迎昼食会の際に、杉原領事代理が「両国の間に特別な懸け橋をつくり」、「人道的な功績で国民の尊敬を集めている」と賛辞を贈った。
10月10日に、ポーランド大統領レフ・カチンスキより叙勲が決定。

2001年に早稲田大学よりヴィリニュス市に寄贈されました。
杉原千畝は早稲田大学を中退しています。「・・・早稲田大学は、校友として・・・・」

杉原千畝が発行したビザのモニュメント

2012年6月上旬リトアニアの首都ヴィリニュスの桜が満開。
ヴィリニュスは北緯54度ですので、東京に比べて満開が2ヶ月以上遅いですね。その分満開の桜が嬉しいでしょうね。
ロサンゼルス 杉原千畝の銅像

2002年12月13日に建立、リトル東京の一番街の東の方、ホームデポの横にあります。

左側の石碑

正面からの撮影 等身大で作られています。
杉原千畝をたたえる銅像が米ロサンゼルスのリトル・トーキョーに建立され13日、除幕式が行なわれた。除幕式にはイスラエル、リトアニア両国の駐ロサンゼルス総領事や日本総領事館の国方首席領事らが出席。日本から招かれた杉原千畝の子息千暁さんは「感激している。父は同じ人間として助けたと信じている」と話した。 (産経新聞 2002.12.15 抜粋)
サンフランシスコ 聖グレゴリーニッサン教会

聖グレゴリーニッサン教会の北西パネルに掲げられている。

杉原千畝のイコン
(1900–1986) Japanese diplomat in Lithuania during World War II who defied government policy and issued as many visas as he could to save thousands of Jews fleeing annihilation by the Nazis.
彼はナチスによって絶滅を逃れたユダヤ人の数千人を救うためにできることとして、政府の政策を無視し、多くのビザとして発行され、第二次世界大戦中のリトアニアで(1900年から1986年)日本の外交官。1985年、イスラエルは彼を名誉国家間の正義のホロコーストの間にユダヤ人を救うために命を危険にさらした非ユダヤ人に与えられ、彼の行動のために。(7月31日):機械翻訳
杉原千畝の惑星 2000年11月19日に発見された惑星に命名

小惑星は主として火星軌道と木星軌道の中間に分布する。このほか、木星軌道上の太陽から見て木星に対して前後60度の位置にトロヤ群と呼ばれる小惑星の集まりが存在する。図の単位は光分(左)と天文単位(右)
杉原(すぎはら、25893 Sugihara)は小惑星帯に位置する小惑星。香港生まれのカナダの天文学者、William Kwong Yu Yeung(中国名:楊光宇)がアメリカ合衆国アリゾナ州のデザート・ビーバー天文台で発見した。
日本の外交官で、第二次世界大戦中に通過査証を発給することでナチス・ドイツによる迫害から約6,000人ものユダヤ人を救った杉原千畝に因んで命名された。

惑星情報のホームページです。上部中央に[25893 Sugihara] 興味のある方はこちら!
杉原千畝は、東方正教会のイコン
早稲田大学 杉原千畝

所在地 新宿区西早稲田1-6-1 (早稲田大学構内11号館と14号館の間に設置)
外交官としてではなく
人間として当然の
正しい決断をしたく
命のビザ発給者く
杉原千畝
寄贈
 ※※※※※※※※※
協力
 駐日イスラエル大使館
 駐日ポーランド共和国大使館
 駐日リトアニア共和国大使館
※※※※※※※※※ : 杉原千畝氏の行いに賛同した方々