更新日 2017年09月22日
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日韓併合前の朝鮮
1866年3月、丙寅教獄(へいいんきょうごく)
大院君によるフランス人宣教師とキリスト教への大弾圧
1856年、中国ではアロウ号事件に端を発して、同60年には英仏連合軍が北京に侵入し、清の咸豊帝が熱河に逃亡するという事件があった。
1864年にロシアは慶興にあらわれて通商を要求したが大院君は一且これを拒絶した。しかし1866年1月 日本海側の元山にロシアの艦船が通商と朝鮮内地移住権を求めてやってきた。だが、大院君はその要求の対応に苦慮していた。(やがて、ロシア側はその要求条件を固執せずに撤退して行くことになる。)
洪鳳周と南鐘三(両者ともキリスト教徒)は帝政ロシアの南下を防ぐために、キリスト教の自由を保障する事を条件として、フランスに同盟を求めてロシアの強要を斥ける事を大院君に献策した。
大院君はこの献策の返答を伸ばし、密偵張命福を使ってかれらの背後関係を調べ上げ、フランス人宣教師が潜伏している事実をつきとめた。1856年中国でのアロウ号事件のようなフランスによる侵略を阻止する為に、邪教は外敵の走狗であるとの理由でキリスト教の大弾圧を始めた。
パリ外国宣教会から派遣され、朝鮮に潜入して布教に当たっていたシメオン=フランソワ・ベルヌー司教ほか9名のフランス宣教師が拷問の末に虐殺され、その後6年間で、高宗の乳母(朴マルタ)を含んむ8,000名におよぶ信者が虐殺されることになる。世界のキリスト教受難史の中でも最大の規模の一つといわれる大弾圧を徹底的に遂行した。

逮捕され、尋問されるベルヌー司祭
李氏朝鮮は19世紀にキリスト教を禁じたが、宣教師は潜入し信者の増加が絶えなかったので何度か弾圧を行っている。
  • 1801年 - 辛酉教獄 : 清国人宣教師周文謨・進士黄嗣永ほか300名あまりを処刑
  • 1839年 - 己亥教獄 : フランス人宣教師ローラン=マリ=ジョゼフ・アンベールほか200名あまりを処刑
  • 1846年 - 丙午教獄 : 金大建は朝鮮で最初の司祭となり布教を始めるが、儒教社会から邪教と弾圧されて、巡威島において外国人宣教師密航計画を進めていた金司祭は1846年に捕縛され、彼と103人の信者は「キリスト教棄教」を拒否、処刑された。