更新日 2014年08月17日
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日韓併合前の朝鮮
1866年08月16日 ジェネラル・シャーマン号事件
興宣大院君の極端な鎖国攘夷政策が原因
1866年当時は、国王の実父である興宣大院君が実力者であった。
興宣大院君は小中華思想(しょうちゅうかしそう)主義者であり、世界の中心は中華であるという中華思想を変化させて、自らを中華と並び立ち、又は中華に次する国家とみなそうとする文化的優越主義思想の持主であった。
朝鮮は中国王朝と共に世界の中心をなし、周辺諸国を野蛮な夷狄、禽獣として考えていた。1873年の大院君弾劾まで強固な鎖国政策と続けた。
こうした論理は、時に国内にも向けられ、中華文明を身につけていない者は同じ朝鮮人でも差別化されることに繋がった。李朝後期の両班達は、自身を「礼義を識り、漢詩漢文を巧みに操り、儒教の経典に精通した中華文明の体現者」と捉え、一方庶民を「夷狄禽獣の類い」と階層的差別意識を露にしていた。
ジェネラル・シャーマン号事件の経過 (アメリカ側の資料)
1866年7月、交易を求めて綿、錫、ガラスの貨物を積み、米国国旗を掲げた商船ジェネラル・シャーマン号は、大同江を経て平壌の羊角島に来航します。ところが、8月16日にシャーマン号は、朝鮮に無法にも焼き討ちされ、ペイジ船長、ウィルソン一等航海士以下船員20名全員が虐殺される。
米国は、当初この事件を知りませんでした。1867年、フランス海軍から情報を得た米海軍は商船シャーマン号に何が起こったか調べるために司令官ロバートW.シューフェルトを朝鮮に派遣します。しかし朝鮮の隠蔽工作で、なかなか事実は明るみにでませんでした。
1868年4月、さらに司令官ジョン・C Feibergerは、シャーマン号の消息を調査しますが、事件の実体はハッキリつかめません。しかし、しびれをきらした米国は遠征艦隊を派遣し、朝鮮に圧力をかける砲艦外交を決意します。

排水量:187t(61は184t、62は204t、63は201t) 
全長:51.20m(61は50.29m、63は52.12m) 幅:7.92m 吃水:1.46m 主機/軸数:外輪2基
兵装:30ポンド・マズルローディング・ライフル砲2門、24ポンド榴弾砲3門(60と62。63は20ポンド・マズルローディング・ライフル砲2門、24ポンド榴弾砲3門)
ジェネラル・シャーマン号事件の経過 (朝鮮民主主義人民共和国歴史学学会
朝鮮中央通信によると、朝鮮民主主義人民共和国歴史学学会は1日、「シャーマン」号撃沈140年に関連して「米帝は朝鮮侵略の先導者、分裂の主犯、戦争の元凶」と題する全文次のような備忘録を発表した。
米帝侵略船「シャーマン」号が大同江に侵入して不法・非道な蛮行を働き、平壌城軍民の愛国的な反侵略闘争により水葬されてから140年になる。
対朝鮮侵略の先遣隊である「シャーマン」号の侵入を機に、我が国に対する米帝の侵略が始まり、朝鮮は列強の勢力圏争奪場となった。
米帝は、朝鮮侵略の最初の段階で喫した惨敗から当然の教訓を汲み取るかわりにこの140年間、形態と手法を変えて我が国に対する侵略策動を絶え間なく行ってきた。
特に、第2次世界大戦後は朝鮮を分裂させ、戦争政策を執拗に追求しながら平和統一を阻むため悪らつに策動したことで、我が民族の不倶戴天の敵、第1の闘争対象となった。
 1.「シャーマン」号の正体、米帝の朝鮮侵略の開始
「シャーマン」号は、米帝が朝鮮を商品市場、原料略奪地に従属させるため「商船」を装って派遣した侵略の斥候隊であった。
しかし、南朝鮮と西側の一部の学者は、「シャーマン」号がプレストン個人の貿易船であったと強弁を張って米国の侵略行為を庇護し、李朝政府の自衛的措置と平壌城人民の愛国的な反侵略闘争を非難している。
歴史的事実は、「シャーマン」号が米海軍所属の軍艦であり、プレストンは船主ではなく、米国務省が派遣した全権代表であり、「シャーマン」号の侵略を機に朝米対決の歴史が始まったということを示している。
19世紀前半期、米国は武装攻撃を前提とする「砲艦外交」でアジア諸国の「門戸を開放」させ、植民地にしようと執拗に策動した。
特に、朝鮮半島の戦略的重要性を看破した米国は1845年2月、「朝鮮開放案」なるものを持ち出して朝鮮の「門戸を開放」させることを対朝鮮政策の基本目標とし、米国南北戦争(1861-1865)以後には、我が国を主な侵略対象に規定して「遠征隊」を組織することに取りかかった。
その先遣隊に選ばれたのが、まさに「シャーマン」号であった
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1866年7月初、平壌を目標としたプレストンは、重武装した「シャーマン」号の戦闘力に頼って船を大同江上流に遡上させた。外国船の動向を監視していた地方の官吏たちは停船を命令し、問情官たちを送って実状を了解した後、彼らが求める食糧などを与え、「内海(川)に入るのは元来、我々の国法が禁止」しているので即時に引き返すことを強硬に求めた。 
しかし、プレストンは、「だれがあえて我々の前途を阻むのか」と脅して数十人の武装人員をデッキに整列させ、2門の大砲を3回も放ち「雷のような音で人々を驚かせ」、国籍も明かさず、船内査察も拒絶した。
7月12日には、6人の怪漢がボートに乗って大同江上流にもぐり込んで水深を探測し、翌日には豆老島(トウルド)に停泊し、18日には閑似亭付近で朝鮮側の巡営中軍一行を拉致、拘留し、再び上流にのぼりながら大砲と鳥銃を乱発して攻撃を開始した。
ヤンキーが響かせたこの砲声は「砲艦外交」の開始と、その後百数十年間続いた朝鮮侵略の序幕を告げる初の砲声であり、我が民族の自主権に対する重大な挑戦であった。
そのため、朝廷の官吏たちも「外国船が以前、外洋に来たりしたが、内地に侵入して数日間、停泊しているのは前例のないこと」であると驚愕し、朝鮮人民はこれに抗議して闘争に立ち上がった。
人民の抗争に励まされて退役将校の朴春権は単独で敵艦に乗り込み、中軍を救出した。しかし、侵略者たちは少しも退く気配を見せなかったばかりか、22日には我が国の商船を奇襲して穀物を略奪し、銃砲を放って12人も殺傷する蛮行を働いた。
憤激した平壌城の軍民は砲撃と火攻めで対応した。平壌監司の朴珪寿は、侵略船が早瀬に達した機会を利用して敵艦を掃滅することを決心し、朝廷の承認を求める状啓を送った。
しかし、金膺兎(=キムウンウ・金日成主席の曾祖父)先生は官庁の動向に関係なく、人々を動員して火攻め戦を組織、指揮した。
7月24日(陽暦9月2日)、「シャーマン」号は火薬庫に火が付いて爆発し、船全体が瞬く間に炎に包まれて灰じんに帰し、そのなかの侵略者たちは「一人残らずせん滅」された。(「日省録」高宗丙寅7月25日、27日)
米国支配層は、海外侵略史上恥辱の初の記録を残した「シャーマン」号の惨敗から当然の教訓を汲み取るかわり、武力による「朝鮮開放」野望を必ずや実現しようといっそう悪らつな計略に執着した。
米国政府の白昼強盗さながらで恥知らずな侵略計画により1868年3月18日、海軍中佐のフェビガーが率いる「シェナンドア」号は大同江河口地域に侵入して殺人、略奪蛮行を働き、一方、ジェンキンスを頭目とする140人余の悪漢たちは「チャイナ」号に乗って忠清道牙山(アサン)湾に侵入して4月18日、徳山郡官庁を襲撃し、南燕君墓盗掘に着手したが、同地域人民の「決死の抵抗」によってそれ以上とどまることができず、逃げ去った。
反人倫と恥知らずさの絶頂を成した「南燕君墓盗掘事件」に対し、世論はジェンキンス一味を「不法破廉恥犯」として起訴し、我が人民は「不倶戴天の敵」と糾弾し、「外国人の大部分は窃盗や強盗」と信じるようになった。(「高宗実録」巻13 1913年1月28日、米国図書「隠遁国朝鮮」400貢)
米国務省はその後、さらなる冒険に執着した。
米国政府は清国駐在公使ローを全権代表に、アジア艦隊司令官ロージェスを彼の護衛に任命し、1871年3月下旬、日本の長崎で「コロラド」号(3425トン)を旗艦とする5隻の軍艦に80余門の大砲と1230人の戦闘員を搭載した「朝鮮遠征隊」を編成して出発させた。
江華島南方の勿淄島(ムルチド)沖に侵入した「遠征隊」は4月14日、2隻の軍艦で孫石項を攻撃したが、我が砲兵たちの猛烈な対応射撃により「モノカシ」号が破損するや、逃げ出した。ローは、破廉恥にも自分らに対する「奇襲砲撃は非人道的蛮行」であるとと言い、朝鮮側は即時に謝罪と賠償を行い、交渉の場に代表を送らなければ上陸作戦を断行して「膺懲」すると威嚇した。
朝鮮側が敵の強盗さながらの要求を一蹴すると、ロージェスは4月23日、10個中隊の陸戦隊と砲兵、工兵などで編成された戦闘部隊を江華島草芝鎮(チョジジン)に上陸させた。
しかし、敵がい心に燃えていた我が兵士たちの猛攻撃によって敵は100余人の死傷者を出して退却し、翌日、再び広城津を攻撃したが、またしても強力な反撃にぶつかって逃げ去った。
結局、かくも大言壮語して一気に朝鮮を併呑するかのように狂奔していた米国「遠征隊」は、我が軍民の勇敢な闘争によって完全に敗北し、5月16日に朝鮮沿海から引き上げてしまった。
ロー自身も自分らの武力攻撃が朝鮮政府にいささかの影響も与えることができなかったし、また朝鮮政府の態度で変更と思われるいかなる兆しもあらわれなかったと言い、「砲艦外交」で朝鮮を屈服させようとした米国政府の対朝鮮政策が完全に破綻したことを認めた。
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万景台と平壌の人民を、米帝の武装海賊船「シャーマン」号撃沈の戦いへ奮い立たせる金日成主席の曾祖父金膺兎先生
とキャプションが付いている。感想は独自に行ってください。
ジェネラル・シャーマン号事件の経過 (管理人の意見)
ジェネラル・シャーマン号の乗組員全員が殺されているので、朝鮮民主主義人民共和国歴史学学会側の言い分を検証する事が出来ない。だが全員殺されているのは事実である。朝鮮側は正当防衛を主張するのであれば、速やかに第三国にその主張を証明する証拠等を提出しておくべきであった。後に国際紛争になる事は明白である。それを行っていないので、説明・証明責任は朝鮮側に有り、朝鮮側には正当防衛を証明する責任がある。証明できなければ、虐殺したと指摘されても反論は出来ないであろう。
当時ではこの様な事が原因で戦争に成っている。実際に朝鮮は報復を受けるのであるが、アメリカは朝鮮半島に侵略の利益を見い出す事が出来ないので、報復だけに留めている。
国際社会でのルールを知らない・守らない愚かな行為が、大きな代償を支払う事に成るのである。
この事件についての歴史認識は、読者それぞれが考えて持てばいい事である。