更新日 2014年08月17日
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日韓併合前 公共施設の発達 関釜連絡船
1905年9月11日就航 下関~釜山間の「関釜連絡船」
日本国本州の下関から朝鮮半島南端の釜山の間を運航していた国際航路の鉄道連絡船である。
1905年(明治38年)9月11日 - 山陽汽船が大韓帝国への外国航路として下関~釜山間に「関釜連絡船」を隔日1往復で新設。京釜線が全通していた事に伴う。壱岐丸(1,600トン級旅客船)が11時間30分かけて就航。

壱岐丸(1,600トン級旅客船)
同年11月1日 - 対馬丸が就航し毎日運航となる。
関釜連絡船 料金と旅行時間
壱岐丸・対馬丸の下関~釜山間の運賃は各等ともに食事付きの料金でした。
 1等 12円 洋食
 2等  7円
 3等 3円50銭
連絡船ができたので旅行時間が短縮されました。
 大阪-釜山 29時間余
 大阪-京城 44時間余
 東京-釜山 48時間余
 東京-京城 60時間余

東京京城間連絡時間略表
関釜連絡船 釜山駅・埠頭の開発

明治38年(1905)に京釜線が開通したのですが、正確には釜山ではなく、1つ手前の草梁駅までが繋がった。
地図でも分かるように釜山日本人居留地から草梁駅までは1駅分の距離がある。
そこを徒歩または人力車で通うしかなく荷物が多いときや雨天のときなど まだ不便だった。

明治41年(1908年) 開業当時の釜山停車場の写真
草梁から市街地まで線路が繋がり、駅舎が完成、 釜山停車場が開業しました。

黎明期の釜山港の写真はがき 1908年頃でしょう。

黎明期の釜山港 1910年頃でしょう。
関釜連絡船 釜山駅・埠頭の開発
釜山港 第一埠頭の開発
1905年(明治38年)から5年計画で第一桟橋及び倉庫を作る工事が総工費148万8千円を以って始まりました。
1909年(明治42年)からは営繕山と領事館山を削り平らにし4万6千坪の平地を生み、その土で3万590坪の海面埋立をする工事が総工費 107万3千円で始まったのです。
1912年(明治45年)6月第一桟橋(釜山税関桟橋)が完成しました。

埋め立て・第一埠頭工事中の写真

第一桟橋のホームから見た関釜連絡船の姿です。
第一桟橋が完成したので係留した関釜連絡船のすぐ側で列車が止まり横断するだけで乗り次ができるようになったのです。

1912年(明治45年) 関釜連絡船との連携を図る為、桟橋まで線路を延長して釜山桟橋駅を作りました。
連絡船には税関職員が乗込んでいて、航海中に船内で通関手続を終え、船から降りると側に待機している汽車にすぐ乗る事が出来るシステムになっていました。
釜山港 第二埠頭の開発
第一埠頭に引き続き、連続して釜山第二桟橋の工事を進め 1918年(大正7年)7月釜山第二桟橋が完成しました。
第一桟橋は旅客専用、第二桟橋は主に貨物用桟橋 として増加する重要に対応していきました

上記写真は第二桟橋に設置された貨物専用大型クレーン

第二桟橋に設置された貨物専用倉庫

第二埠頭が完成した 釜山駅と釜山港の埠頭
中央下の埠頭を関釜連絡船が利用していた。左側埠頭の上が釜山駅である。
関釜連絡船 人員輸送実績