更新日 2014年08月17日
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妓生(キーセン)の身分
李氏朝鮮の妓生(キーセン)
階級による妓生の分類
妓生は三階級に分けられており、
  • 一牌妓生:教養を持ち合わせ、宮中に出入りして上層階級の前で歌舞音曲を披露し「売唄不売淫」
  • ニ牌妓生:政丞や判書の家に出入りし、ときには夜砥までを行う
  • 三牌妓生:専ら一般庶民を相手にした地方娼妓でした。
と分類される。
李能和・著「朝鮮解語花史」(1927年)なる文献によると、李氏朝鮮時代に風俗営業に就いていた女性たちは「蝎甫(カルボ)」という名で括られるそうです。蠍蝎の蝎の文字からもどのような扱いを受けていたのかが伺い知れます。この「蝎甫」は、いわゆる広義の意味であり、日本語でいうと「遊女」に該当するようで、文献では一牌妓生、二牌妓生、三牌妓生、花娘遊女・女社堂牌・色酒家と分類されている。
李氏朝鮮時代には通じて一牌妓生の中に医術と宴会を担当した「薬房妓生」がおかれていました。これは医女と妓生の区別がつかなくなったことを意味しています。彼女たちは、衣服や内宮関係の仕事を担当した「尚房妓生」とともに気位が高かったそうです。
奴婢(奴隷階層)では「妓籍(キイヨ)」に分類される。
李朝時代の身分制度には、 両班、中人、奴婢 があり、奴婢の分類の中に妓籍(kijyo)いわゆる妓生の身分があった。妓生とは、奴婢随母法で規定された身分「妓籍」に属する女性達を指し、「妓生庁という役所」で所有・管理されていた。
妓籍の子供は庶属(sojyoku)と呼ばれ、男子は中人に移籍する事もありましたが、 女子は妓籍から抜ける事はできない。庶属の売買は自由であった。 要するに朝鮮は社会制度として世襲の性奴隷制度を実施していたのである。
1886年に奴婢身分世襲が禁止されましたが、社会制度及び経済制度としての妓籍制度の根は深く、実質的には日本統治時代も残っていました。 妓生には次の4つの区分がありました。
  • 「軍妓」= 軍に付属する売春婦
  • 「辺妓」= 国境などの辺境に駐在する軍隊の為の売春婦
  • 「女妓」= 支那使臣の接待専用の売春婦
  • 「官妓」= 官吏専属の売春婦
「軍妓」「辺妓」が、国策による「従軍慰安婦」です。なお、韓国で売買春が完全に禁止されたのは、2004年の法改正以後のことです。
女性の奴婢(奴隷階層)が売り買いされていた価格
李朝末期には、奴婢の中にさらに誤萢と私翹の区別が生じた。私翹になるのは婦女子がほとんどで、個人が囲う奴隷として使役された。
日韓併合当時に至っても、一人三〇円で売り買いされており、 *現代換算114,000円程その価格はアメリカの奴隷よりも安かったといわれている。
婦女子の奴婢は、特定の夫をも持たず主人に属していた。また、主人も一人ではなく何人かの間を渡り歩くのが風習であった。彼女たちが子供を生んだ場合は、主人の所有物とされ子供も奴婢として転売される。子供が女子であれば、私翹として売買されやすいため、その家系は永遠に奴婢の身分から抜け出すことはできなかった。
(『朝鮮農業発達史』小早川九郎編著、友邦協会P一九)
日本の芸者との違い
日本の芸者と妓生を同一視する人も多いようだが、
  • 日本の芸者:職業であり、個人の自由意思で違う職業を選ぶことが出来る。(売春はしない)
  • 朝鮮の妓生:身分制度で世襲され、奴隷階層の一部である。(一部を除き売春を行う)
大きな違いがある。