更新日 2014年08月17日
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『 恨 』(はん)とは?
「朝鮮半島」 家族制度・女性差別
李氏朝鮮の社会の単位は個人ではなく家族であり、家族を中心に『家族制度』で運営された。李氏朝鮮時代の『家族制度』は家父長的家族制度で、政教の根本理念に採択された儒教でさらに厳格に統制され、生活の規範と儀式は全て儒教の教えによることを強要された。
李氏朝鮮時代の家長の権利は、先祖の祭祀を主宰し、家庭の管理、家族の扶養、分家や養子縁組、子女の婚姻・教育・懲戒・売買などに関する全権を持って家族成員を統率した。また、外では民間の契約は家長の署名なしには成立しなかったし、官庁でも家長を相手に全てのことを処理した。家長へは絶対服従が定められていて、子孫・妻妾・奴婢が、謀反・反逆以外の罪状で父母や家長を官庁に告訴すると、かえって告訴した者の方が極刑を受けることになっていた。
婚姻にも『男尊女卑』の観念が徹底され、男子は妻が死んだ後にいくらでもまた婚姻しても構わなかったが、女子の場合は制約がひどく、成宗8第9代国王(第9代国王)の時からは再嫁を原則的に禁じ、再嫁した女子の子孫は文武官に任命されることができず、科挙に応試することもできなかった。
婚姻関係以外にも女子の社会的地位はとても微弱で、女子としての法律的行為は必ず夫や家長の許可がなければならなかった。また、交際や外出も厳格に制限され、家族や近い親戚でなければ男子と対面できなかったし、外出しなければならない時には上流階級ではノウルをかぶり、下流階級でもチャンオッ・ゴンモなどをかぶって顔を覆うようにした。
女の手が他の男に触れた場合は腕を切断され、家から追放されるといったことも行われた。また、追放された場合でも、実家では家の名誉のために自殺を強制することがあった。「出戻り」は恥であり、基本的に許されなかった。
この外出・男性対面を制限する風習は、女性が愚かで節制が無いからできたものと理解されることが多い。実際は李氏朝鮮時代の上流階級の風紀が異常に乱れていた為に、男性同士がお互いに強い不信感を持っているので、自分の妻・妾を隠していたと考えられている。
女性はとにかく「男児を産む」ことを任務とされたのです。男児を出産した女性は、胸の部分が大きく空いて乳房を完全に露出させる民族衣装チマ・チョゴリを着る事が出来て、女性の誇りとなったいた。女性には相続権が無かったので、男児を生まないと家長からの扶養だけで生きていくことになる。自ら生んだ子が男児で長男ならば、その子が家長になる可能性があるし、長男以外でもその子は相続権があるので、その母として生活できる可能性がある。男尊女卑で虐げられている女性の中でも、男児を生んでいない女性に対し、自分の優越を誇示したいと思う意識があるのでしょう。
離婚も家父長的な家族制度維持のために、男性によるほとんど一方的な理由で、男児を産まない嫁は婚家から追放された。

朝鮮では女性の再婚は禁止されていたが、民事令の改正により再婚できるようになった。
大阪朝日・朝鮮版1933.2.14