更新日 2014年08月17日
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日韓併合前 公共施設の発達 病院
日韓併合前の朝鮮の医療
1876年 朝鮮修信使を迎えに行った船の軍医が釜山で治療を行う
朝鮮国修信使来聘書 海軍中軍医 島田脩海からの報告
修信使一行を迎えに行った船に軍医が乗っていたが、彼は船が日本に向けて出発するまでの9日間に、朝鮮人への医療を行っている。以下は、明治9年6月8日付けで、寺島宗則外務卿宛ての、海軍中軍医 島田脩海からの報告である。(朝鮮国修信使来聘書 金綺秀 明治九年 三 p48~p51「信使迎船乗組島田中軍医滞韓中該地人民ヲ治療セシ事等ヲ外務卿へ上報書」)より現代語訳、また一部省略した。 出典先はこちらです。
 修信使を迎える汽船黄龍丸に乗って5月13日に釜山草梁へ着き日本館へ入る。翌日に訓導 玄昔運と会談し、天然痘の病害の話をし、種痘による予防法のことを話した。
訓導「天賦の病気がどうして人の手で防ぐことが出来ようか。我が国にも一つの方法がある。痘のカサブタを薫じて嗅ぐのである。」
「それは極めて害がある方法である。」 と言葉を尽くしてそれを止めることを説いた。
「我が国ではここ数十年間に数万の人民に種痘を施したが極めて有効であり、また害も無いので日本政府は貴国に伝えたいとの事である。先ほど人の手によるものが天賦に代わることが出来ようかと言ったが、カサブタを薫じて嗅ぐなどがそうではないのか。それに対して種痘の方法は万に一つの失敗も無いことを我が政府が保証するものである。よって速やかに人民にこのことを布告してはどうか。」
 訓導は反論する言葉をなくし、しばらくして、
訓導「疑念は氷解した。しかし布告するには、まず経験として私の子供に施してその効を見てから後しか布告することは出来ない。」
「では私自身が直接皆に説明して施行することはどうか。」
訓導「それならば差支えない」
 これにより翌日15日に坂下の村に行き、日本語が分かる朝鮮人(これを現地では「トグス(小通事)」と言う)をもって村の者に説明するが、愚民の常によって疑うばかりで誰も聞く者がいない。そこで目に見える形の治療をもって導くのが良いだろうと思い、群集を見ると兎唇(みつくち、口唇裂)の甚だしい状態の者がいた。その男を呼んで治療の方法を説明すると、男は驚愕して言った。
「自分の不具は母親の腹の中にいる時からこうなのであって、皆が言うには先天(前世)の仏罰があってこうなっているのであるから治す方法があるわけがない。貴国にもこの仏罰があろうか。」
「ある。しかし、その仏力よりも勝る医術をもってすぐに完全に治す。汝もまた完全に治す気はないか。」
「真に治す方法があるなら治してほしい。自分は哀れにも仏罰を受けた人間ということで26歳になるがまだ配偶者を持つことも許されない。」
「分かった。明日、日本館(草梁公館)に来なさい。必ず完全の人にするから。」
 これにおいて群衆に向かって言った。
「汝らよくこの者に注目して治療の後は必ず疑いあることなかれ。」
はたして翌日男が来たので、直ちに手術を施し薬を与えて2時間ほど安眠させ、帰村させた。
翌日になってその男が来て喜ぶこと限りがなかった。またその弟を伴って来て種痘を受けさせてくれというので施した。また翌日に至って縫い針を取り去ると拙い自分の技術であったが接合部分が甚だ整い、わずかに細い線が痕跡としてあるだけだった。
これにより村人の疑いが解けて皆喜んで種痘を打つことを望んだ。16人の小児に種痘を施した。また1名の兎唇の者が来る。年齢は16才と言う。直ちに治療する。
これにより「神医」来るとの話が四方に伝わり治療を乞わんとする者はなはだ多し。
しかし、(草梁公館敷地の)西門の守衛(朝鮮政府からの派遣による者)が出入りする者を許可証をもって管理していたが、普通の者の出入りを頑として許さないという。それを聞いて通訳を伴って直ちに行き、患者の出入りは自由にするべきである、と言った。しかし彼は国禁によって許すことは出来ないと言う。それで自分は叱咤して、「自分は知っているぞ。先ほど1人の患者から銭を取って通行を許したであろうが。まして修信使を我が国に送ろうとする際にあたってそのような頑なな理屈は理解出来ない。もし許さないというなら自分が出る所へ出て話をつける。」と迫ると、「それならば自分が門番をしている時だけ自由に出入りすることを許す。」と言った。
これより患者が陸続として来る。
10年以上前に失明して両眼が煮えた貝のようになった者が来た。また、癩病となって20年と言う者も来た。しかしこれらは偽の神医である自分にはどうすることも出来なかった。
眼病が甚だ多い。ついに失明に至る者も多い。
寄生虫も多い。おそらく肉食によるものであろう。1患者に薬を与えると、サナダムシの3m60cm余りのものが駆除できた。
癩病の者も多い。原因は分からない。
間欠熱(マラリア類)も多い。
(日本に向かった)修信使一行のうち5、6名が病気になったが軽かった。船酔いはひどかった。
以上は、日本から来るに当たって宮本小一大丞や軍医寮から、朝鮮は衛生治療の方法が乏しいので哀れである、と聞いたことにより滞在中に拙術を施し候。

撮影年・場所不明
清国の国を代表しての使節団ではないでしょうか。左側の黒い旗は龍が描かれています。頭髪が清国風です。
ランクは不明ですが国の代表者が通る様な道路ではありませんね。