更新日 2017年09月22日
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日韓併合前 公共施設の発達 鉄道
朝鮮半島の鉄道の発達
明治27年
1894年8月1日
日清戦争 開始
明治27年
1894年8月20日
日朝暫定合同条款 締結
京城釜山間、京城仁川間の鉄道敷設案、同間の軍用電信線の存置、新たな開港地、23日の王宮での小戦闘問題の不問、内政に関する日本委員の派遣、王宮護衛日本兵の撤退とで合意
明治28年
1895年3月30日
日本銀行・朝鮮政府間に300万円の借款意
明治28年
1895年4月17日
下関条約(日清講和条約・馬関条約)
明治29年
1896年1月
朝鮮政府 経費不足300万円と鉄道建設費200万円の借入申入
明治29年
1896年3月29日
京仁鉄道敷設権をモールスに売る(日朝暫定合同条款違反)
明治29年
1896年4月17日
朝鮮駐在公使小村寿太郎,朝鮮政府に対し,アメリカ人モールスに京仁鉄道敷設権を与えることは暫定合同条款違反と抗議
明治30年
1897年1月
日モールス、建設資金を本国で募集するも出資者がなく日本に出資をもとめる
明治30年
1897年1月
アメリカ人モールス、大川平三郎経由で京釜鉄道発起委員長渋沢栄一に京仁鉄道敷設権の譲渡を申し出
明治30年
1897年5月4日
京仁鉄道引受組合成立
明治30年
1897年10月13日
朝鮮から大韓帝国へ
明治30年
1897年10月21日
アメリカ人モールス、価格を5万ドルから30万ドルに要求。モールス二百万円貸与で解決
明治31年
1898年3月8日
アメリカ人モールス、三百万円でフランスシンジケートに転売を計画
明治31年
1898年10月31日
京仁鉄道敷設工事の紛議頻出。モールスは困り、現状で京仁鉄道引受組合に引渡しを提案。百八十万円で買取
明治32年
1899年1月31日
渋沢は横浜正金銀行によりモールスと会見後、京仁鉄道譲受の手続を完了
明治32年
1899年5月15日
京仁鉄道引受組合は鉄道敷設工事を直営とし、京仁鉄道合資会社設立。渋沢は取締役社長
明治32年
1899年9月18日
鷺梁津(漢江西岸にあった駅)⇔ 済物浦(仁川)間が開業

朝鮮半島で初めての鉄道開通である。
日本で新橋~横浜間が開通したのは1872年
アメリカはベスト・フレンド・オブ・チャールストンが1930年に営業運転開始
明治33年
1900年7月5日
漢江鉄橋の完成
明治33年
1900年11月12日
京仁鉄道全線営業開始 開通式

明治34年の南大門駅の写真
明治34年
1901年8月20日
京釜鉄道起工式(永登浦にて)
明治37年
1904年2月8日
日露戦争 開始
明治38年
1905年1月1日
京釜鉄道(京城[ソウル]と釜山)開通
一部河川などはフェリーで輸送する暫定的ではあった。
明治38年
1905年5月25日
京釜鉄道(京城[ソウル]と釜山)全線開通
急行で13時間45分
明治38年
1905年9月11日
山陽汽船が大韓帝国への外国航路として下関~釜山間に「関釜連絡船」を隔日1往復で新設。京釜線が全通していた事に伴う。壱岐丸が就航。

上記写真は同年11月に「関釜連絡船」に就航した対馬丸である。
明治39年
1906年4月3日
京義線開通 (龍山駅~新義州駅)498.2Km
明治39年
1906年10月
馬山浦線開通  馬山浦と洛東江右岸を経由して京釜線の三浪津を結ぶ鉄道 42.1Km
鉄道建設の利権トラブルの背景は、李氏朝鮮内部の権力闘争が原因
 【高宗王の実父の大院君】と【高宗王の王妃の閔妃】の権力闘争がおよそ30年間続けられた。
 単なる嫁と舅のケンカではない。李氏朝鮮を2分する派閥同士の権力闘争繰り返されたのである。
名門の閔氏一族と興宣大院君一族の対立
富国強兵の改革派と既得権益にしがみつく保守派の対立
自立改革が出来ないので、支援を求める外国による対立 親清国派・清ロシア派・親日本派
 これらの対立には関係なく、農民・民衆は厳しい税の取立・役人の不正・貧困・飢饉などで苦しんでいた。
 権力闘争より先に農民・民衆の生活を改善するべきだが、自らの贅沢な暮らし・復讐の為に国の存続を危うくしている。
 マルコポーロから始まった大航海時代による、欧米列強の植民地獲得競争の最後の地域である東アジアを取り巻く環境など一切理解していない。
 当時朝鮮半島を訪れた外国人達は、李氏朝鮮が世界で一番貧しく文明が遅れている国と本国に報告している。

ジョルジュ・ビゴーによる当時の風刺画(1887年)
日本と清国が互いに釣って捕らえようとしている魚(朝鮮)をロシアも狙っている
1910年 日韓併合までに完成した路線

1910年 日韓併合までに完成した路線
1906年 京仁・京釜 京義・馬山浦線の建設費用
京仁・京釜・京義・馬山浦線の4線の建設費合計は6638円である。このお金は日本人の血税で賄われたが、その活用は、日本人・朝鮮人共用であり、資金を拠出していない朝鮮側の享受した利益は全て日本国民が提供したのである。もしも1896~1906年の1円が、今の10万円に相当するとすれば、6.6兆円
1910年 日韓併合までに完成した路線 建設費用
日本が費やした朝鮮の鉄道費用は、日韓併合前の総計で1億507万7000円 【資料 朝鮮総督府鉄道局刊・「朝鮮鉄道一班」1931年】
1896~1906年の1円が、今の10万円に相当するを根拠にすると、11兆5077億円となります。
京仁線鐵道時刻表 1905年(明治38年)

明治38年8月に発行された「朝鮮の実業」という月刊誌の54ページ目です。
仁川から西大門 一日7往復で、各駅停車と快速があります。快速で片道1時間20分です
京釜鐵道時刻表 1905年(明治38年)

明治38年8月に発行された「朝鮮の実業」という月刊誌の54ページ目です。
下から4段目が急行の時刻表です。
午前6時30分に京城の西大門を出発し、午後8時15分に釜山の草梁に到着 13時間45分です。
帝国鉄道協会 慶応義塾図書館 1925年(大正14年)の資料

帝国鉄道協会 慶応義塾図書館 1925年(大正14年)の資料

帝国鉄道協会 慶応義塾図書館 1925年(大正14年)の資料

帝国鉄道協会 慶応義塾図書館 1925年(大正14年)の資料