更新日 2014年08月17日
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日本の『華族』となった朝鮮貴族
朝鮮王朝 李王家の最後の皇太子 李垠(り・ぎん/イ・ウン)
1897年 高宗と純献貴妃厳氏との間に、高宗第七皇子として生まれる。
1907年 純宗即位と同時に大韓帝国最後の皇太子となる。
1907年 日本に留学し、伊藤博文らから扶育を受ける。
1908年 学習院へ入学する。
1910年 韓国併合と同時に日本の王公族として「王世子」に封じられ、「殿下」の敬称を受ける。
1917年 日本の陸軍士官学校を卒業(第29期)後に、大日本帝国陸軍に入隊する。
1918年 日本の皇族梨本宮守正王の第一女子である方子女王と婚約する。
1920年 方子女王とご結婚
1926年 純宗が薨去され、李王家当主を正式に継承し、「王」(李王)となった。
1927年  5月からヨーロッパ出張(フランス、スイス、イギリス、ベルギー、オランダ、ドイツ、デンマーク、ノルウェー、スウェーデン、ポーランドオーストリア、チェコスロバキア、イタリア、モナコ歴訪~1928年4月9日帰国)
1945年 日本の軍人として宇都宮連隊長などを経て、終戦時には中将に昇進していた。
1947年 日本国憲法制定により李垠夫妻は王公族の身分と日本国籍も喪失する。
1947年 李承晩により大韓民国への入国を拒否されて、帰国する事が出来なかった。
1957年 日本国籍を取得して夫婦で渡米。 李玖のマサチューセッツ工科大学卒業式に出席。
1960年 夫婦でアメリカに渡り、ニューヨークなどを訪問 6月6日~8月6日
1961年 夫婦でハワイ訪問 3月26日~5月7日
1963年 朴正煕政権が成立したのを機に帰国する事が出来た。
1970年 李王 死去(満72歳没)

朝鮮王朝最後の皇太子李垠(リ・ギン)様と皇太子妃方子(まさこ)様

大正5年8月3日の朝日新聞
李王家 東京邸

李王家 東京邸(現グランドプリンスホテル赤坂旧館) 
明治43年(1910)日本の皇族となった朝鮮王朝・李王家の東京本邸として建てられた建物です。 ここに生活していたのは、最後の皇帝、純宗の皇太子 李垠(り・ぎん/イ・ウン)(1897-1970)殿下と妻である梨本宮方子(なしもとのみやまさこ)妃のご家族です。 当時、皇太子の住まいを一手に引き受けていた宮内省内匠寮により設計され 清水組(現・清水建設)によって施工されました。竣工は昭和5年(1930)です。
戦後、西武鉄道に売却され 昭和30年(1955)、客室35室で赤坂プリンスホテルとして 開業しました。昭和58年(1983)、新館の誕生以降は 宿泊施設の役目を終え 主に婚礼施設やバー・レストランを中心として利用されてきました。
平成23年(2011)東京都の有形文化財(建造物)として指定されました。

李王家 東京邸 裏側 ホテルの上層階からの写真

李王家 東京邸 撮影年不明 南側からの撮影

李王家 東京邸 3連アーチのポーチコ

李王家 東京邸 当主と来客用の玄関

李王家 東京邸 玄関の車寄せ 

李王家 東京邸 重厚な玄関扉の取っ手 

李王家 東京邸 武石弘三郎作大理石浮彫

李王家 東京邸 武石弘三郎作大理石浮彫 玄関左側に設置 縦 88.6㎝、横 197.7㎝、深さ11.0㎝

李王家 東京邸 玄関ホール 見事に並んだねじり柱による目隠し 

李王家 東京邸 1階の大客室の外側 円形ボウウインドウ

李王家 東京邸 1階の大客室

李王家 東京邸 1階の大客室 天井の見事な装飾

李王家 東京邸 階段の踊り場のステンドグラス

李王家 東京邸 装飾が施された階段手すり

李王家 東京邸 レセプション・ルームのシャンデリア 建設当時と同じ物

李王家 東京邸 2階 談話室のスクリーン

李王家 東京邸 撮影年不明 

李王家 東京邸 李王殿下が使われた浴室 

李王家 東京邸 2階 李王殿下夫婦の寝室
壁には造り付け棚と半円アーチの大きな鏡 棚中央の時計も竣工当時のもの