更新日 2014年08月17日
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小中華思想 とは?
『中華思想』は、漢民族の優越思想である。
『中華』とは自分達を華(文明)の中にあるとする選民的な価値観であり、「優れた文化を持つ者」「中心の国に住む優れた文化の担い手」を意味している。
『中華思想』(ちゅうかしそう)は、中国が宇宙の中心であり、その文化・思想が神聖なものであると自負する考え方で、漢民族が古くからもち続けた自民族中心主義の思想である。漢民族の文化と思想が世界で最高の価値を持つとみなされる。そのため、異民族や外国の侵入に対しては、熾烈な排外主義思想として表面化することがある。中国語では『中国中心主義』と呼んでいる。
中国人の考える中華思想では、「自分たちが世界の中心であり、中心から離れたところの人間は愚かで服も着用しなかったり獣の皮だったり、秩序も無い。」ということから、四方の異民族について四夷という蔑称を付けた。
  • 東夷(とうい) - 古代は漠然と中国大陸沿岸部、後には日本・朝鮮などの東方諸国。貉(ムジナ=アナグマを指す)の同類。
  • 西戎(せいじゅう) - 所謂西域と呼ばれた諸国など。羊を放牧する人で、人と羊の同類。春秋戦国時代は秦王朝をこれに当てた。
  • 北狄(ほくてき) - 匈奴・鮮卑・契丹・蒙古などの北方諸国。犬の同類。
  • 南蛮(なんばん) - 東南アジア諸国や南方から渡航してきた西洋人など。虫の同類。

中華思想の概念図
『小中華思想』は、朝鮮で唱えられた文化的優越主義思想
『小中華思想』とは主に朝鮮で唱えられた中華思想(華夷思想)の一変種であり中華文明圏の中にあって、漢族とは異なる政治体制と言語を維持した民族と国家の間で広まった思想。自らを「中国王朝(大中華)と並び立つもしくは次する文明国で、中華の一役をなすもの(小中華)」と見なそうとする文化的優越主義思想である。

『小中華思想』の秩序(正しい序列)は、大中華と並び立つ、又は、大中華より一段低いが次する文化的に優越した序列を意味している。
自らを小中華と見なすことは、周辺諸国を野蛮な夷狄、禽獣として他者化することも意味していた。この自らを華、周辺諸国を夷とする姿勢は、文化的優越主義に止まらず政治的地理的世界観にも表れ、現実はどうであれ「朝鮮は中国王朝と共に世界の中心をなし、周辺諸国を従属させている」と解釈しようと志向した。
実際に、李氏朝鮮は周辺国である日本や琉球や満洲を文化的に劣等な夷狄とみなしていた。
『小中華思想』は、朝鮮国内での階層差別意識を強くした
『小中華思想』の論理は国内にも向けられ、中華文明を身につけていない者は同じ朝鮮人でも差別化されることに繋がった。李朝後期の両班達は、自身を「礼義を識り、漢詩漢文を巧みに操り、儒教の経典に精通した中華文明の体現者」と捉え、一方庶民を「夷狄禽獣の類い」と階層的差別意識を露にしていた。
儒教は秩序維持のために身分階級制度を奨励している。その制度と小中華思想の相乗効果で、厳しい差別を伴った身分階級制度や奴隷制度が構築されてきた。
李氏朝鮮の文献で初めて使われた『小中華』
1699年の『童蒙先習』に、小中華の語句が使われている。
『童蒙先習』(どうもうせんしゅう)は、朝鮮で李朝時代に作られた初学者のための入門的な教科書である。その中に、「ああ、我が国は海の辺隅にあり、国土は狭小ではあるが、礼教・音楽・法律・制度、衣冠(身分秩序)・文物(文化の産物)、ことごとく中国の制度にしたがい、人倫は上層ではあかるく、教化は下のものに行われた。風俗の美は中華をひとしくなぞっている。華人(中国人)はこれを称して小中華という。」と書かれている。
李氏朝鮮時代に『書堂』(しょどう-李氏朝鮮時代の私塾)で使われた子供達用の教科書に記入されている。上層(支配階級)の身分階級は中華の影響を受けて優れていて、下層(従属階級)は上層に教えを乞い、上層に従っていた事が伺える。子供の初期教育から身分制度での差別を教えていた事になる。教育を受けられるのは上層(支配階級)だけなので、支配階級の子供たちに身分制度での優位性を教えていたのだ。
上層(支配階級)の子供たちに、国家間の序列で中華の優位性を認めそれを教えていた。国内では身分制度での序列を教え、支配することを教えていた。

朝鮮王朝時代の私塾である書堂(しょどう)で、子供たちが「千文字」を習った次に使う教科書が『童蒙先習』である。写真の本の作成年は不明
『朱子学』は、支配するために発展した儒教の学派
『朱子学』は朱熹によって系統づけられ、それまで「仁」が重要視されていた儒教に対し「礼」を最重要視するようになった。「礼」の関係は言わば上下関係であり、中国の皇帝が臣民を統治するために都合良く系統づけられた、支配のための教えである。
儒教が必要となる国家は、元々国内が乱れ、国民が強い不満を持っていた。その不満を押さえ込み、国内の乱れを封じる為に『朱子学』の教義を利用したのである。
朱子学は13世紀には朝鮮に伝わり、朝鮮王朝の国家の統治理念として用いられた。朝鮮はそれまでの高麗の国教であった仏教を排し、朱子学を唯一の学問(官学)とした。
李氏朝鮮時代に両班たちは日常生活にまで朱子学を浸透させて、知識人・道徳的指導者を輩出する身分階層を独占した。支配階級のための実践的な思想で、身分制度の尊重と君主に従うことを説いている。それが李氏朝鮮時代の社会の発展を停滞させた一因になっている。政治・経済・文化・道徳などが成熟されないままで李氏朝鮮末期を向かえる事になった。今日でも朝鮮の文化・国民性に大きな影響を与えている。