更新日 2014年08月17日
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事大主義 とは?
『事大主義』の辞書での意味
日本の広辞苑で『事大主義』の説明は、「自主性を欠き、勢力の強大なものにつき従って自分の存在を維持するやりかた。」
韓国の国語大辞典で『事大主義』の説明は、「一定の主義なしに、勢力の大きい国家や人にしたがって、自分の存立を維持しようとする主義。」
中国の漢語大訓典では、『事大主義』の説明が存在しないが、『事大』の説明では「小国が大国を奉じながら仕える事を指す。」
日本のWikipediaで『事大主義』の説明は、「小が大に事(つか)えること、強い勢力には付き従うという考えを意味し、行動様式の1つ。東アジアでは外交政策の方針として用いられたこともある。」
中国での『事大』の出所と意味の変化
中国での『事大』の出所  儒教の影響
『事大』は中国の古代から使われている言葉である。古代から春秋戦国時代の前期までは、「力」で大国が小国を従属させる意味で使われてきた。
春秋戦国時代の後期に孔子(紀元前552年10月9日‐紀元前479年3月9日)が登場して、戦国での無法・無秩序を嘆き「仁道政治と身分制秩序の再編」を掲げた思想を展開し、身分制秩序の再編の為に「礼」を説いた。
「力」で繰り返された無法・無秩序な戦争や下剋上に、「礼」が大きく影響して「以大事小」「以小事大」の思想が発生してきたのである。
※「礼」とは、人間関係を円滑にすすめ社会秩序(儒家にとっては身分制階級秩序)を維持するための道徳的な規範であり、礼儀正く謙虚であり感謝の心を持つ事とされる。

孔子(こうし、紀元前552年10月9日‐紀元前479年3月9日)
春秋時代の中国の思想家、哲学者。儒家の始祖。
中国での『事大』 孟子の言葉
『事大』の変化を説明したのは孟子(紀元前372年? - 紀元前289年)の「以小事大」(=小を以って大に事える)の一節である。孟子には越が呉に仕えた例が知恵として書かれている。つまり「小国のしたたかな外交政策(知恵)」と意味する言葉となっている。
齊宣王問曰、交鄰國有道乎
孟子對曰、有
惟仁者爲能以大事小、是故湯事葛、文王事混夷
惟知者爲能以小事大、故大王事獯鬻、勾踐事呉
斉宣王「隣国と交わるための「道」はありますか」
孟子「あります」
「仁者だけができることですが、大国であっても小国に仕えることです。是故に殷の湯王は葛に仕え、周の文王は夷に仕えました」
「知恵者にだけできることですが、小国が大国に仕えることです。故に斉の大王は匈奴に仕え、越の勾踐王は呉に仕えました」
中国で『事大主義』の言葉が存在しない。『事大』として使われる事は有るが、『以小』と合わせて『以小事大』として使われる事が多い。

孟子(もうし、紀元前372年? - 紀元前289年)は戦国時代中国の儒学者。
儒教では孔子に次いで重要な人物であり、そのため儒教は別名「孔孟の教え」とも呼ばれる。
中国での『儒教』の影響
中国での『儒教』の影響 孟子が説いた「四つの端緒」
孟子は、人間には誰でも「四端(したん)」が存在すると説いている。「四端」とは
  • 「惻隠」(他者を見ていたたまれなく思う心) → 「仁」
  • 「羞悪」(不正や悪を憎む心) → 「義」
  • 「辞譲」(譲ってへりくだる心) → 「礼」
  • 「是非」(正しいこととまちがっていることを判断する能力) → 「智」
と定義される。
この四端を努力して拡充することによって、それぞれが仁・義・礼・智という人間の4つの徳に到達すると言うのである。だから人間は学んで努力することによって自分の中にある「四端」をどんどん伸ばすべきなのであり、また伸ばすだけで聖人のような偉大な人物にさえなれる可能性があると主張する。
孟子の「四端」に、後年「信」が加えられました。「信」とは言明を違えないこと、真実を告げること、約束を守ること、誠実であること。信用や信頼ということで使う字です。人偏 + 言 ですから、人の言葉には嘘がないということです。「仁義礼智信」これが儒教で言うところの、五常の徳(人が常に守るべき五つの徳目)です。
中国での『儒教』の影響 孟子の影響 「仁義」
孔子は仁を説いたが、孟子はこれを発展させて仁義を説いた。仁とは「忠恕」(真心と思いやり)であり、義とは(世のためになる人としての道)と説いている。
「苛政(かせい)」とは、戦国時代は戦争の準備が必要ですから重税が人民に課せられることになり、厳しい政治を行う事を意味します。人民は離散して税金を払い者が居なくなり、益々厳しい政治を行うようになります。
「仁政(じんせい)」とは、恵み深く思いやりの有る政治です。仁政の国には多くの人民が集まるので、財政的にも豊かになり、軍備を整えることができます。また仁政の国は好んで戦争をするわけではありませんので、侵略の準備をしようとして過酷な重税を取る必要もないのです。
苛政の国では、人民は為政者を憎んでいますから、兵に戦意は乏しく、戦争に負けて為政者が代わりますと、苛政から解放されるのではないかと考えて歓迎します。もし王道政治を行っている王が苛政の王を制裁戦争でやっつけるとしますと、苛政の国の人民は解放軍を迎えるように他国の兵に協力するのです。
中国での『儒教』の影響 孟子の影響 「王覇」
孟子は古今の君主を「王者」と「覇者」とに、そして政道を「王道」と「覇道」とに弁別し、前者が後者よりも優れていると説いた。孟子によれば、覇者とは武力によって借り物の仁政を行う者であり、そのため大国の武力がなければ覇者となって人民や他国を服従させることはできない。対して王者とは、徳によって本当の仁政を行う者であり、そのため小国であっても人民や他国はその徳を慕って心服するようになる。
中国での『儒教』の影響 孟子の影響 「民本」
孟子は領土や軍事力の拡大ではなく、人民の心を得ることによって天下を取ればよいと説いた。王道によって自国の人民だけでなく、他国の人民からも王者と仰がれるようになれば諸侯もこれを侵略することはできないという。
孟子は、君主は利益でなく仁義によって国を治めるべきであり、そうすれば小国であっても大国に負けることはないと説いた。孟子によれば、天下を得るためには民を得ればよく、民を得るためにはその心を得ればよい。では民の心を得るための方法は何かといえば、それは民の欲しがるものを集めてやり、民の嫌がるものを押し付けないことである。民は安心した暮らしを求め、人を殺したり殺されたりすることを嫌うため、もし王者が仁政を行えば天下の民は誰も敵対しようとせず、それどころか自分の父母のように仰ぎ慕うようになるという。
君主は覇道でなく王道を行うべきであり、そうすれば天下の役人は皆王の朝廷に仕えたがり、農夫は皆王の田野を耕したがり、商人は皆王の市場で商売したがり、旅人は皆王の領内を通行したがり、自国の君主を憎む者は皆王のもとへ訴えたがるだろう。そうなれば誰も王を止めることはできない。
中国での『儒教』の影響 孟子の影響 「天命」
「天命」とは、天下を与えられるのは天だけであり、その天の意思、天命はどのように示されるのかといえば、それは直接にではなく、民の意思を通して示される。民がある人物を天子と認め、その治世に満足するかどうかによって天命は判断されるのである。
朝鮮半島へ伝わった『儒教』
朝鮮半島に『仏教』が伝来した時期
宗教として仏教が朝鮮半島に伝来したのは、高句麗へは372年(小獣林王2年)に伝来し、百済へは384年(枕流王元年)に伝来、新羅では528年(法興王14年)に公認された。
日本への仏教公伝の具体的な年次については、古来から有力な説として552年と538年の2説あることが知られており、一般的に538年が有力とされる。
朝鮮半島に『儒教』が伝来した時期
思想や哲学として『儒教』が朝鮮半島に伝来したのは、諸説有るので判断が難しい。
日本へ儒教が伝わったのは513年、百済より五経博士が渡日して以降のことである。これ以前にも、王仁(わに)が『論語』を持って渡来したという伝承が『古事記』などにあり、概ね5世紀頃には伝来していたものと考えられている。
故に、朝鮮半島に儒教が伝来したのは513年以前で有る事は確かである。(朝鮮半島に儒教が伝来した時期について、詳しくご存知の方、ご指導をお願いします。「孔子の韓国人説」の説明はご遠慮します・・・)
朝鮮半島に伝えられた『儒教』は、孔子が弟子たちに語って説いた内容だけではなく、思想・哲学として構築されている『儒教』として伝えられている。具体的には、弟子たちによって孔子の言葉をまとめた「論語」として伝えられている。当然その中に『儒教』の基本思想である「仁義礼智信」の教えがあり、孟子が説いた「以小事大」もその中に含まれている。
朝鮮半島で『儒教』が変質してしまい、『以小事大』と異なる『事大主義』が生まれる
李氏朝鮮の末期に閔妃と大院君が繰り返した権力闘争で中国・ロシア・日本に事大した『事大主義』の意味と、中国から伝来した儒教に含まれていた『以小事大』は全く違う意味である。朝鮮半島に伝来してから変質してしまったのである。
『事大』の意味は、中国の古代では「力」を基に使われているが、春秋時代頃から『事小』と対で使われる様になり、「礼」を基に使われることが追加された。「力」だけの使われ方の場合は、小国が大国に仕える事だけを意味するが、「礼」を追加すると大国が小国に仕える意味も増える事に成る。
大国である中国での『事大』は、「力」で小国を服従し「礼」でその征服を継続させることを意味している。小国からの「礼」が損なわれると再度「力」で主従関係を修復する事に成る。小国である朝鮮半島は国家の存続する事が目的で『事大』を受け入れるのであるが、長期間支配されると自主独立の意思が無くなり、自ら主従関係で従属国として大国である中国に依存するようになる。朝鮮半島の『事大主義』は従属する事が目的となってしまい、「礼」は求められるから応じているのであって、従属の関係を続ける為の手段でしかない。小国である朝鮮半島の国家は『事大主義』は外交手段でしかないので、より強力な大国が出現すれば『事大』相手を簡単に変えてしまう。
中国の『事大』は、「礼」が重要な要素であるが、朝鮮半島での『事大主義』では「礼」は無くてもよい要素となっている。両国の違いは「礼」の有無である。
※「礼」とは、春秋戦国時代に儒家(孔子が始祖)によって観念的な意味が付与され、人間関係を円滑にすすめ社会秩序(儒家にとっては身分制階級秩序)を維持するための道徳的な規範のこと。
『事大主義』を利用し小国の支配者となる (愚者が行うと国を滅ぼす)
小国内で権力者と対立する者が権力奪還の為に大国の軍事力を利用し、小国内でクーデターを起こし、支配者になる為に大国に依存する。主権を持った独立国が外国の軍隊に依存したり国内に招き入れる事は、最も行なってはいけない事である。
大国は軍事・経済・資源等の為にクーデターに協力するのであって、決して無償で協力する事はありえない。
知恵者が行う事大主義の外交を、愚か者が行うと国を滅ぼす事になる。
『事大主義』宗主国に従属する言葉に変化し、主権を失う。
『事大主義』の最初の意味は、小国でも知恵の有る外交を行ない、主権を確保し続けるしたたかな意味を伴った言葉であった。
しかし、知恵の無い外交しかできない小国は、大国の支配力に従う様になり、その影響力に依存するように変化する。主権を確保する事を目的で行っていた経済協力や軍事協力が目的を失い、経済・軍事協力を行う事が目的と成ってしまう。小国は自ら主従関係で従属国として大国に依存するようになり、主権を失う。