更新日 2014年08月17日
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資料-2
歴史についてですが、イギリスはなぜ多くの植民地を持つ事が出来たのですか?軍事力が他国よりすすんでいたのでしょうか?世界統一を目指していたのでしょうか?過去の歴史を見てもイギリスほど多くの植民地を持つ国は無いですよね?
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12105859037
イギリスが最も多くの広大な植民地を獲得した時代は19世紀末から20世紀初頭にかけてで、第一次大戦直前(1914年)には、その総面積は3350万k㎡(陸地総面積の22%)で、支配下の総人口は4億人(当時の世界人口18億の20%以上)いたという推計があり、同時代の露の全面積の1.5倍、世界第2位の植民地帝国仏の3倍の面積を誇っています。
上記の数字だけを見ると、英国の最盛期は20世紀初頭だと勘違いするかもしれませんが、実はこの『世界の1/4を握っていた』とされる時期は既に英国が衰退している時期だったんですね。
イギリスの全盛期は1830年代から70年代まで、その時代の政治家ディズレイリの国会での演説で次のような言葉が残っています。「アメリカとロシアの平原は我々の畑であり、シカゴやオデッサは我々の穀物倉庫である。カナダや北欧には我々の(木材用の)森林があり、我々の牛はパンパ(アルゼンチン)の牧場で飼われ、オーストラリアの牧場では我々の羊毛が刈られている。地中海のブドウ(ワイン)、中国の茶や絹、西インドの砂糖、ブラジルのコーヒーは我々のために作られている。インド、アメリカ、エジプト、その他世界の全ての綿花は我々の工場の原料となる。我々の工場から出荷される製品は全世界に売られ、それらの決算をするのは我々のカリフォルニアとオーストラリアの金、ペルーの銀である」
上記の演説は概要においてほぼ当時の現実を反映しています。上記に名前が挙がった国の中で当時(19世紀中葉)、実際に英国の植民地だった地域は加、豪、印のみで、他の地域は政治的、公式には英領ではありません。米国は既に独立していますし、南米はスペインから離れた独立国です。露仏は英と対等の列強ですし、中国も独立国です。
しかし実際には英国による経済的支配が行われており、“世界の工場・イギリス”(当時の世界工業生産額の50%以上を占めていました)とそれに材料を供給し、英製品を購入する市場としての他国という国際関係が成り立っていました。
つまり、この19世紀中葉のイギリス最盛期時代(ビクトリア期)に、英国は非公式ではありますが、世界(世界市場)の半分を握る国家だったわけですね。
この時代の英の国際経済政策は“自由貿易主義”と呼ばれるもので、他国も含め世界中の保護主義を撤廃しようというものです。産業革命をいち早く成し遂げた英国は、工業を基礎とする経済のあらゆる面で他国を圧倒していたので、同条件の貿易では、絶対優勢である事が明らかだったんですね。そして、その経済の絶対優位の元での外交政策は“小イギリス主義”と呼ばれています。「(ある地域の)経済を握って、利潤を吸い上げているんだから、植民地統治をしてわざわざ出費を増やす必要はない。リスクを増やすな」という考えです。
この“小イギリス主義”が変化するのが、1870年代以降です。米と独で第二次産業革命が生起し、90年代には両国の工業が英国のそれを追い抜いてしまうんですね。金融やサービスなどでは依然優位にあった英国ですが、工業と製品販売で両国の後塵を拝するようになります。ここで英国は自己の市場と材料供給地を確保するため、“公式の自己の植民地”(支配維持や行政にコストがかかる)の確保に乗り出します。言い換えると、この時点で英国は「植民地として確保した事による利益が、それに掛かるコストよりも上回る」と判断したわけです。結果、他の欧州列強もそれに倣い、列強の植民地(自己の市場と原材料供給地)争奪戦は熾烈になりました。
つまりは、『世界の1/4を支配した大英帝国』は工業が米独に追い抜かれ、かつての絶対的力を失った結果なんですね。
そして、その後の歴史で明らかなように、植民地を持たないドイツ(1890年以前)は英国を追い抜き、世界恐慌(1929年)に対し、ポンドブロック(イギリスの排他経済政策)はほとんど効力を発揮しませんでした。
「植民地の維持による利益獲得<その維持費」を確信した英国は第二次大戦後、かつての植民地の独立運動にほとんど抵抗せず(抵抗できず)、すんなり認めることになります。
当時のイギリスの軍事力は非欧米諸国に比べれば圧倒的ですが、他の欧州諸国を征服できるほどの力はありませんでした。特に陸軍が貧弱です。
そして、イギリスは他の欧州諸国を征服する意思もありませんでした。
17世紀以降イギリスの外交政策は一貫しています。欧州大陸の統一勢力の出現阻止、そしてその分裂による自己の相対的優位の確立です。
16世紀までは欧州問題にも干渉し、欧州(主にドイツ)での権益にも積極的に関わった英国ですが、エリザベス1世以降は、欧州の強者(ハプスブルグ家やブルボン朝、ナポレオン帝国)と反対の側の勢力に助成し、自身は欧州以外での勢力伸張(領土獲得や商圏の拡大)に注力しています。
現在の英国がユーロを使わず、EUにも積極的に参加しないのは、欧州統一に反対して成功してきた500年の伝統・歴史がある事も理由の一部でしょうね。