更新日 2017年09月22日
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謝罪 地域・民族・国家による違い
国や地域による謝罪の違い
日本の謝罪文化
日本の謝罪の文化は他国とは大きな違いが有ります。「ごめんなさい」や「すいません」の言葉が日常的に繰り返し使われている事がその一例であろう。日本人は謝罪をする事と賠償をする事は、別の事と考えている。トラブルの原因を作った加害者は、直ぐに謝罪をして被害者の出方の様子を見ます。その相手の反応に合わせて謝罪のレベルを変えて、トラブルを解決しようとします。
謝罪の例-1
「私の間違いでご迷惑をお掛けして申し訳ありません」の謝罪に対し、「私がもっと詳しく説明するべきでした。私にも責任があります。」とお互いに謝罪の言葉を使い、平和的に解決する意思が有る事をお互いに確認しあいます。
謝罪の例-2
「私の間違いでご迷惑をお掛けして申し訳ありません」の謝罪に対し、不満では有るが謝罪を受け入れて水に流す。
謝罪の例-3
「私の間違いでご迷惑をお掛けして申し訳ありません」の謝罪に対し、謝罪は受け入れるが加害者に対し責任の追及と賠償を求める。加害者も相手が謝罪を受け入れて水に流す意思が無い事が解ってから、相手側の過失を指摘して問題解決への交渉を始める。最初の行われた謝罪は、加害者・被害者両方とも賠償を含まれていない事を前提に、責任割合の交渉が始められる。
謝罪例-3の場合ですが、加害者が相手の反応を確かめてから反論を始めています。この様な例は、日本人同士の場合は特に問題はありません。しかし外国人が被害者の場合は大きな問題となりますし、日本人の態度の変化が不信感・狡賢い行動と非難されます。日本以外では謝罪を行うことは、賠償をする事を認めた事になります。
相手の立場に立った『思いやり』や、『お互い様』・『水に流す』・『情けは人の為ならず』・『禊(みそぎ)は済んだ』など謝罪を受け入れる文化が発達しているのも日本の大きな特徴である。
日本人特有の『恥の文化』も謝罪に影響している。狭い島国で多くの人が暮らしています。常に他人の目を意識しないわけにはいかないのです。怖いのは神や仏ではなく、他人の目であり、他人の口です。他人に笑われたくない、恥をかきたくない、これが日本人の行動を規定する恥の文化です。つまり、正しいかどうかで行動(謝罪)を決めるのではなく、世間がそれをどう思うかで、自分の行動(謝罪)を決めるというのです。
日本は四方を海に囲まれた島国国家で、300年近くに渡り鎖国をしてきました。他の民族の支配を受けたことが無く、独特の『思いやり文化』『恥の文化』『武士道の精神』を成熟させてきました。戦後、近隣諸国と戦後処理の為に条約を交わし経済協力を行ってきたが、島国の国民性で大きなトラブル・紛争や誤解が起きた事はありませんでした。実際に ASEAN(東南アジア諸国連合)の10ヶ国とは友好的に付き合って来ています。日本の謝罪文化が世界の中で異質なのは確かですが、外交上で孤立するような事はありませんでした。(中国・韓国・北朝鮮の3国については下記に別な項目で記入します)
欧米の謝罪文化
欧米の映画やドラマでよく見かけるシーンで、子供の躾の為に外出禁止や門限の時間を決めたり、トラブルの原因の物を没収したり、社会奉仕をさせたているシーンをよく見かけます。欧米での躾では、謝罪の言葉は重要としないで、行動で謝罪・責任の取り方を表現させます。欧米社会では、謝罪の言葉だけで態度で表さない事は『卑怯』な事と見なされます。また、直ぐに謝罪をし自分の過失を認めてしまうことは、交渉能力が無い無能な人と決めつけられます。謝罪する事としない事が、日本社会よりはっきり区別されている社会です。
アメリカは移民でできた国なので、習慣・言語などの違いで起きるトラブルが多いです。悪意の無い過失は問題にしないような懐の深い一面もあります。友人関係は対等で年齢に差が有っても成り立ちます。その対等な関係に謝罪や賠償を持ち込むと上下や力の関係が入り込みます。アメリカ社会では「いいよ気にしてないから」と対等な関係を大切にする風潮があります。
中国・朝鮮半島の謝罪文化
中国や韓国では、トラブルが起きた時に謝罪はしません。謝罪をする事は賠償を約束する事なので、自分に過失が有っても賠償を避けるために謝罪はしません。問題解決の主導権を握る為に自己の正当性を強く主張し続け、相手の主張は受け付けません。正誤の基準は関係無く、交渉術として相手を攻め続けます。謝罪を行うと『負け』を認めた事になり、賠償する事を認めた事になります。
中国では不利な交渉でも有利に交渉を纏められる人は尊敬されます。プライドを大切にする国ですから交渉相手のメンツを潰すような交渉・謝罪は避けます。会社で上司が部下を叱責する場合は、ほかの社員の前で行うことはいけません。部下のプライドを傷つける事になり、二度と指示に従わなくなるか、退社して行く事になる。
韓国が他の国と違う所は、一度主導権を握り強い態度で謝罪や賠償を勝ち取ると、際限なく繰り返してくる事です。過失を他人に押し付ける事が平気で行われ、嘘・捏造・告口・過大解釈の文化が大きく発達しています。日本で嘘や告口は道徳的に恥ずべき行為で、信頼を失う事となります。韓国では交渉術の一種で国家間の外交でも使われています。『騙される方が愚か者』と考える国民性なのです。
会社間の契約や国家間の条約では、自己に都合がいい様に過大解釈して営業活動・外交を行ってきます。契約や条約で決められた内容まで押し戻さないと過大解釈を既成事実として、解釈の範囲を更に広げてきます。このような国民性では日本の様な謝罪を受け入れる文化は生まれないし、謝罪を受け入れて水に流す事は理解できないでしょう。
朝鮮半島の人たちが、罪を他人に押し付けたり嘘・捏造・告口・過大解釈などを行うのは、過去の歴史の出来事に因果性(いんがせい)としての原因があります。細かくは別のページで書いてみますが、ここではイザベラ・バード氏の本から抜粋して説明していきます。
イザベラ・バード『朝鮮紀行』 時岡敬子 訳 講談社学術文庫 558ページ
「…朝鮮には階級がふたつしかない。盗む側と盗まれる側である。両班から登用された官僚階級は公認の吸血鬼であり、人口の五分の四をゆうに占める下人は文字どうり「下の人間」で、吸血鬼に血を提供することをその存在理由とする。」
イザベラ・バード『朝鮮紀行』 時岡敬子 訳 講談社学術文庫 344ページ
「このように堕落しきった朝鮮の官僚制度の浄化に日本は着手したのであるが、これは困難きわまりなかった。名誉と高潔の伝統は、あったとしてももう何世紀も前に忘れられている。公正な官吏の規範は存在しない。日本が改革に着手したとき、朝鮮には階層が二つしかなかった。盗む側と盗まれる側である。そして盗む側には官界をなす膨大な数の人聞が含まれる。「搾取」と着服は上層部から下級官吏にいたるまで全体を通じての習わしであり、どの職位も売買の対象となっていた。」
イザベラ・バード氏は自分の著書『朝鮮紀行』の344ページと558ページの二か所に、同じ文章の載せています。余程強調したかった事なのでしょう。
両班がお金で役職を買い取り行政権・警察権・司法権を手に入れて、「盗む側」となります。法律の拡大解釈・言掛り・捏造・偽装を繰り返し、下層階級の人民の富を奪い続けます。「盗まれる側」は富を奪われない様に嘘を付いたり隠したりします。自分と富を守るために他人を密告し難を逃れ様とします。朝鮮半島の人達にとって、嘘・捏造・告口・密告をする事は、恥ずかしい事では無く、生き抜く為の術なのです。
李氏朝鮮の500年の間これを繰り返してきたのです。李氏朝鮮の末期には、「盗む側」のやり方がより陰険になり、より残酷になって来ています。「盗まれる側」も最終的に奪われるのですから、生産したり蓄える事を止めてしまい、人間としての生きる希望を失っています。この「盗まれる側」の感情が『恨(はん)』なのでしょう・・・。『恨』については別ページで調べてみます。
これが朝鮮半島の民族性になっています。 イザベラ・バード氏の本での表現で「吸血鬼」「吸血鬼に血を提供する・・」は決して悪意に満ちた大げさな例え話では無く、朝鮮半島の本質を衝いた適切は表現なのです。
この様な歴史が何世紀も繰り返して来ていると、謝罪の文化は定着しないし、許す文化は理解できないでしょう。