更新日 2014年08月17日
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イギリスがインドに対して 謝罪はしていない
アムリトサル虐殺事件(1919年)イギリスのキャメロン首相がインドに対して
1917年の英国インド相エドウィン・モンタギューが行った戦後自治の約束(インドの自治を漸進的に実現していくという内容)は形式だけの自治を認めるインド統治法の発布に終わり、1919年3月にはローラット法(インド政庁発布の、破壊活動容疑者に対する令状なしの逮捕、裁判ぬきの投獄を認めた法規)が発布された。4月に入ると、アムリットサル市を中心としてパンジャーブ州では大暴動が発生し、銀行、駅、電話局、教会などが暴徒に襲われ、十数人のイギリス人が殺害されたため、治安部隊が投入され、集会の禁止が通達された。集会の禁止が通達されたものの、4月13日には2人の民族指導者の逮捕に抗議する非武装の集会がアムリットサル市で行われた。女性や子供も参加し、非武装で暴力的行為も無かったこの集会の参加者に対してイギリス人のレジナルド・ダイヤー准将率いるグルカ兵からなるイギリス領インド帝国軍一個小隊が乗り込み、いきなり参加者に対する発砲を始めた。さらに避難する人々の背中に向けて10分から15分に渡って弾丸が尽きるまで銃撃を続け、犠牲者はイギリス側資料で379人、インド側調査で1000以上が亡くなったと報告されている。この後、戒厳令が発令され、暴動は一気に収束したが、この弾圧によってインドの反英運動は激化することになった。
2013年2月20日にイギリスの首相キャメロンがイギリス帝国主義時代にイギリス軍がインド人を虐殺したJallianwala Bagh(ジャリヤーンワーラー庭園)墓地を訪問した。
れらの殺害された人たちの墓地に花輪を捧げた後に、キャメロンは94年前の殺害を「深く恥ずべき事件」だと述べた。しかし、彼は彼の政府を代表して公式な謝罪はしなかった。
キャメロン首相は記者たちの質問に次のように語っている。
In my view we are dealing with something here that happened a good 40 years before I was even born, and which Winston Churchill described as ‘monstrous’ at the time and the British government rightly condemned at the time. So I don’t think the right thing is to reach back into history and to seek out things you can apologize for. I think the right thing is to acknowledge what happened, to recall what happened, to show respect and understanding for what happened.
私の考えでは、この事件は私の生まれる40年前の出来事であり、当時のチャーチルが「怪物的」な出来事と表現し、当時の英国政府はそれを正しく批判した。だから私は当時の歴史にさかのぼって謝罪することを探したりするようなことはしない。正しいことは、何が起こったかを認識し、それを思い出し尊敬を持って理解することである。

アムリットサル虐殺事件 現場 (1919年4月13日)

アムリットサル虐殺事件 銃跡

犠牲になった人々を慰霊する碑に献花するキャメロン英首相=2013年2月20日

アムリットサル虐殺事件

アムリットサル虐殺 数ヵ月後の現場