更新日 2014年08月17日
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インドネシアがオランダ女王に謝罪要求 謝罪はしていない
インドネシアがオランダ女王に謝罪要求
オランダは早くから世界進出し、アジアとも関わりが深い。オランダによるジャワ島を中心とするオランダ領東インド支配においては、1825-30年におきた民衆反乱を弾圧したのち、「強制栽培制度」を1830年に実施した。これは、ジャワ農民に対し、土地の一定割合で稲作など食用の栽培を禁止し、コーヒーやサトウキビといったヨーロッパ輸出用の高級作物の栽培を強制する制度で、ナポレオン戦争後のオランダ本国がおかれた経済的苦境を、打破するためのものであった。この制度により、ジャワから強制栽培品を安く買い上げ転売したオランダは経済が好転、鉄道建設をはじめ、産業革命と近代化のための資本蓄積に成功した。
厳罰によって実施されたこの制度で、ジャワ農民は稲や麦という自給食料を失い、1843-48年には飢饉に苦しみ多数の餓死者を出したと言われている。強制栽培制度は中断を伴い形を変えて20世紀まで続けられ、第二次世界大戦中の日本軍のオランダ領ジャワへの侵攻とその撤退後も解決されず、インドネシアとオランダとの独立戦争の終戦まで続いた。オランダはインドネシアに賠償をするどころか、インドネシアの独立を認めるに際しては、60億ドルの補償金をインドネシアに要求している。
オランダのベン・ボット外相が2005年8月16日、ジャカルタのインドネシア外務省を訪れて,インドネシアにたいする植民地支配と軍事攻撃について深い遺憾の意を表明し、公式に謝罪しました。同地からの報道によると、ボット外相は特に日本軍の降伏後にオランダが大規模な軍を配備して独立運動を攻撃したことを誤りだったと謝罪。ベン・ボット外相は、わずかに1945年以降の植民地支配と独立戦争についてしか謝罪していない。
「オランダの行動によってあなたがたの多くの人々が犠牲となった。私はここにオランダ政府を代表して、こうした苦しみに対して深い遺憾の意を表明します」とのべました。同外相は、「オランダが植民地時代と特にその最後の段階で、インドネシア国民の利益と尊厳を傷つけたことをオランダ国民は認めなければならない」と指摘。「つらい記憶が私たちの心から消えることはないが、この記憶がわれわれの和解を妨げることはない」と付け加えました。
オランダのボット外相がインドネシア建国60周年祝賀式典に出席するためジャカルタを訪問し、オランダの閣僚がインドネシア独立記念日の式典に出席するのは初めての事だ。
オランダは日本敗戦直後の空白期間に宣言された独立を認めず、独立戦争が4年間続いて泥沼化。49年に米国の仲介で主権を移譲した。インドネシア側が「建国」と位置付ける独立宣言を認めたことで戦後60年の歴史の清算が実現する。

TV Program on Dutch War Crimes Hidden for Forty Years
40年間隠されたオランダの戦争犯罪上のテレビ番組

1947年12月9日 オランダ軍が、村人にインドネシア独立自由軍の情報を求めました。村人が拒絶したために、431人の村人がオランダ軍により虐殺されました。(村民の背後から銃撃しています)

1947年2月1日 スラウェシの村で700人以上の村民を虐殺しました。