更新日 2017年09月22日
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李氏朝鮮末期の日本の状況 帝国ホテル
1890年竣工 初代の帝国ホテル

1890年竣工 初代の帝国ホテルは1890年(明治23年)11月3日に落成、同7日に開業した

1890年竣工 初代の帝国ホテル後面

1890年竣工 初代の帝国ホテル応接所

1890年竣工 初代の帝国ホテル

1890年竣工 初代の帝国ホテルの写真はがき(手着色)
1880年頃は欧米列強の時代。日本の不平等条約改正が悲願となっておりその1つの手段として井上馨は日比谷に鹿鳴館を建設します。外国の賓客を招いては夜な夜な舞踏会を開催し「日本は劣った国ではない!」というアピールし続けます。当時、東京には招いた賓客を満足させる宿泊施設がなかった為、財界人(大倉喜八郎、澁澤榮一)に働きかけ鹿鳴館の隣に1890年に帝国ホテルを竣工します。
初代帝国ホテルの位置は、現在の第一別館のあたりに位置しており、正面玄関は現在の東宝劇場の方向を向いていた。当時はホテル前に外堀が日比谷方面に流れており、美しい景観に恵まれていたが、明治36年の日比谷公園開園と共に残念ながら埋め立てられてしまった。

1905年の帝国ホテルでの小村寿太郎一行の壮行会。この後、日露戦争の平和条約、ポーツマス会談へアメリカに向かいます。帝国ホテルではさまざまな会合が開かれていました。
1919年 初代の帝国ホテル 火災で全焼
1923年9月1日 新館(ライト館)の帝国ホテル 落成記念披露宴の準備中に関東大震災
小規模な損傷はあったもののほとんど無傷

1923年9月1日の関東大震災 左が新館の帝国ホテル 右が勧業銀行
1923年、設計から11年の歳月を経てライトの本館は完成、9月1日に落成記念披露宴が開かれることになった。関東大震災が東京を襲ったのは、まさに宴の準備に大忙しの時だった。周辺の多くの建物が倒壊したり火災に見舞われる中で、小規模な損傷はあったもののほとんど無傷で変わらぬ勇姿を見せていたライトの帝国ホテルはひときわ人々の目を引いた。
1923年~1967年 新館(ライト館)の帝国ホテル

帝国ホテル 入口車寄せ
1923~1967年 新館(ライト館)の帝国ホテル営業 鉄筋コンクリートおよび煉瓦コンクリート造、地上3階(中央棟5階)、地下1階、客室数270。
震災にも空襲にも耐えたこのホテルの存続を訴える大規模な反対運動が起ったが、本館は地盤沈下などの影響で柱が傾き雨漏りがするといった老朽化の問題もさることながら、都心の一等地を占有する巨大な建造物の客室数がたったの270では話にならなかった。
ライト館の玄関部分は博物館明治村(愛知県犬山市)に移築され、今日でも在りし日の面影を偲ぶことができる。また、東武ワールドスクウェア(栃木県日光市)では実寸比25分の1のミニチュアで在りし日のライト館全景を再現している。

帝国ホテル 北翼屋上から見た玄関ホールと背後のロビー

帝国ホテル ロビー内

帝国ホテル 客室

帝国ホテル 孔雀の間

1954年 新婚旅行で滞在中のジョー・ディマジオ(左)とマリリン・モンロー夫妻を案内する犬丸徹三 総支配人(後方)