更新日 2014年08月17日
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『 ライダイハン 』
韓国の大きな罪 『 ライダイハン 』
『 ライダイハン 』とは
大韓民国(以下、韓国)がベトナム戦争に派兵した韓国人兵士又は韓国から仕事で訪れていた韓国人と現地ベトナム人女性の間に生まれて混血児の事である。兵士による民間人への強姦・韓国民間人の無責任での置き去りが多くの悲劇を招いている。
韓国が支援していたのは南ベトナムである。最終的には南ベトナムは崩壊したので、北ベトナムが勝利した事になる。勝利者からみると韓国は敵国となり、敵国に密通した女となり、混血児は敵国の子供となる。
ベトナムでは「白より赤」という言葉が有る。白は能力、赤はコネを表し、ベトナムはコネ社会である。特にベトナム戦争中は同じ民族で北と南に分かれて戦ったため、優秀な他人よりも自分を裏切らない身内という考えが社会の隅々にまで浸透した。
上記の理由で、混血児とその母は幾重にも重ねられた差別の対象となっています。
韓国がベトナム戦争に参戦していたのは、1964~72年だから混血児の年齢は40~50才となっている。現在ではその子供たちも差別の対象が広がっていることだ。
『 ライダイハン 』の背景
1961年11月、クーデターにより政権を掌握した朴正煕国家再建最高会議議長はアメリカを訪問するとケネディ大統領に軍事政権の正統性を認めてもらうことやアメリカからの援助が減らされている状況を戦争特需によって打開することを意図してベトナムへの韓国軍の派兵を訴えた。ケネディ大統領は韓国の提案を当初は受け入れなかったが、ジョンソン大統領に代わると1964年から段階的に韓国軍の派兵を受け入れた。
1965年から1972年にかけて韓国では「ベトナム行きのバスに乗り遅れるな」をスローガンに官民挙げてのベトナム特需に群がり三星、現代、韓進、大宇などの財閥が誕生した。アメリカはその見返りとして、韓国が導入した外資40億ドルの半分である20億ドルを直接負担し、その他の負担分も斡旋し、日本からは11億ドル、西ドイツなどの西欧諸国からは10億3千万ドル調達した。また、戦争に関わった韓国軍人、技術者、建設者、用役軍納などの貿易外特需(7億4千万ドル)や軍事援助(1960年代後半の5年間で17億ドル)などによって、韓国は度成長の足掛かりとする事が出来た。
タイ王国やフィリピン、オーストラリア、ニュージーランドなどの反共軍事同盟東南アジア条約機構(SEATO)の加盟国も、アメリカの要請によりベトナムへ各国の軍隊を派兵したが、韓国軍はSEATO派兵総数の約4倍の規模で、アメリカ以外の国としては最大の兵力を投入した。これは、米韓の協定により、派兵規模に応じた補助金と対米移民枠を得られたこと、軍事統制権をアメリカが持っており自身に権利が無かったこと、さらに韓国自体が、北朝鮮や中華人民共和国などの軍事的脅威を身近に感じていたため、共産主義勢力の伸張に対して強い危機感を持っていたことが理由である。
参戦した韓国兵士の人数は延32万人で、5万人前後が常時進駐していた。アメリカから韓国に支払われた兵士の給与は、1965~73年で総額235,568,400ドルで、韓国内に送られた金額は全体の87%で195,110,800ドルとなっている。(韓国国防部2005年発表資料)
ベトナム戦を経験した退役軍人の中には当時の非人道的行為を悔いる者もいた。元韓国海兵隊員の金栄萬氏は、『戦争の記憶 記憶の戦争─韓国人のベトナム戦争』(金賢娥著・三元社刊)でこう証言している。「越南に到着して、私が聞いた話は、『強姦をしたら必ず殺せ、殺さなかったら面倒が起きる、子供もベトコンだからみな殺さねばならない』といったものでした」
韓国軍は、ダナンに海兵隊第2旅団(青龍部隊)、クイニョンに首都ソウル防衛師団(猛虎部隊)、ニンホアに第9師団(白馬部隊)が駐屯した。 白馬部隊の連隊長には後に大統領となった全斗煥、猛虎部隊の大隊長には盧泰愚が就いていた。
『 ライダイハン 』の人数と原因
ライダイハンの正確な数は諸説あり定かではない。少なくとも1万人以上で、最大3万人まで予測している。彼らは父親の記憶を持たず、韓国語ができず、写真だけが唯一残された思い出となっている。韓国とベトナム政府の正確な調査をしないまま、援助団体が支援を主張したため、数が増えたという説もある。しかし、少なくない数の混血児が発生したことは事実である。加害者は少なく報告し、被害者は多く報告する傾向がある。韓国の新聞報道では5000人と報道している。
彼らは韓国人兵士や韓国民間人による事実婚関係、売春、韓国軍兵士による強姦などの理由で生まれている。
ベトナム解放戦線が放送により、韓国軍による拷問や虐殺事件、あるいは婦女子への暴行事件を連日報じていたことは事実である。各地の韓国軍による虐殺や暴行事件の生存者たちの証言では、共通して婦女子に対する強姦も含まれている。
戦闘終了後の治安維持に入ると韓国軍は兵士の行動を厳密に制御したが、猛虎師団の兵士が村の娘を強姦して軍法会議に付託された事件もあった。しかし、戦闘が行われている期間では、軍法会議で強姦を裁かれたことは殆どない。
『 ライダイハン 』の韓国マスコミの対応
朴正煕後の韓国大統領である全斗煥、盧泰愚大統領は、すべてのベトナム派兵で活躍した指揮官だった。最大の圧力団体である軍部の存在もあって、韓国ではベトナム戦争を批判的に採用することをタブー無視は雰囲気が存在した。
週刊誌『ハンギョレ21』(1999年5月6日号)に掲載されたベトナムにおける韓国軍の民間人虐殺特集だった。「通信員」として記事を書いたのは、当時、ベトナム留学中だった大学院生の具スジョン氏。ベトナム当局から虐殺の資料を入手し、徹底した現地取材と生存者へのインタビューを重ね、韓国軍による無差別殺戮の実態を白日の下に晒したのである。記事は、ベトナム中部のビンディン省の村々で起きた凄惨な虐殺事件を生々しく伝えている。
この報道に対し退役ベトナム参戦団体から強い抗議を受けた。2000年 6月27日 、枯葉剤後遺疑症戦友会など2000人を超える迷彩服姿のハンギョレ新聞社に対するデモで、輪転機とコンソールボックス、コンベヤベルトなどを破損したり、車を転覆し、社屋内の各目と杖を持って乱入して、コンピュータなどの什器を壊し、従業員に暴力を振るうなど、過激な犯罪行為が行われた。