更新日 2014年08月17日
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サンフランシスコ講和会議 韓国の参加希望が拒否された理由
サンフランシスコ講和会議に、韓国の参加希望が拒否された理由
韓国は署名国としての参加を度々表明し、一時は署名国リストにも掲載されていたが、日本と交戦していなかったため、招請されなかった。当時の大韓帝国は日本に併合され、大韓民国臨時政府を承認した国も存在せず、また他の亡命政府のような「大韓民国臨時政府」の指揮下にある軍も存在しなかった事がその理由である。
1949年1月7日、韓国の李承晩政権は対馬領有を宣言し、日本に対馬返還を要求した。さらに李承晩は韓国が講和条約署名国としての資格があるとアメリカ側へ訴えた。
1949年12月3日、駐大韓民国ジョン・ジョセフ・ムチオアメリカ大使は中国国民党軍の朝鮮人部隊、大韓民国臨時政府の存在、韓国を署名国にすれば非現実的な対日請求要求を諦めさせることができること等を理由に韓国の参加をアメリカ国務省に要請した。1949年12月29日の条約草案では、韓国が締結国のリストに新たに加えられた。
日本政府としては、在日朝鮮人を連合国民として扱わないことが保証されるならば、韓国の条約の署名への反対に固執しないとジョン・フォスター・ダレス国務長官補に述べた。1950年6月25日に朝鮮戦争が勃発し英米も参戦するなか、1951年5月の米英協議等において第二次世界大戦において韓国が日本と戦争をしていなかったことを理由に、イギリスが韓国の条約署名に反対した。イギリスの方針表明を受けてアメリカも韓国臨時政府を承認したことがないことから方針は変更された。
1951年7月9日、ダレス国務長官補は韓国大使との会談で「韓国は日本と戦争状態にあったことはなく、連合国共同宣言にも署名していない」ことを理由に、韓国は講和条約署名国となれないことを通知した。この会談で、韓国側は日本の在朝鮮半島資産の韓国政府および米軍政庁への移管、竹島・波浪島の韓国領編入、マッカーサー・ラインの継続などを記した要望書を提出したうえで「十分な信頼と信任により平和を愛する世界の国々との機構への日本人の受け入れに反対する」と、日本を国際社会に復帰させようとする対日講話条約締結に反対した。
これに対しアメリカは1951年8月10日にラスク書簡で最終回答を行い、在朝鮮半島の日本資産の移管についてのみ認め、韓国のほかの要求を拒否した。しかしこの通知後も韓国は署名国としての地位を要求した。1951年月22日にダレスは韓国大使の署名要求を再度拒否するとともに、講和会議へのオブザーバー資格での参加も拒否、非公式の参加は可能と回答した。(「非公式に代表を送るのであれば宿泊や会場入場等の便宜をはかる」との回答。)
サンフランシスコ講和会議 韓国に対する『ラスク書簡』

1968年当時のディーン・ラスク
ラスク書簡(ラスクしょかん)とは、第二次世界大戦後、サンフランシスコ講和条約を起草中であったアメリカ合衆国政府へ大韓民国政府からよせられた日本国の領土や、韓国政府が戦後に享受する利益に関する要望書に対し、1951年8月10日、米国が最終決定として回答した文書。当時の米国国務次官補ディーン・ラスクから通達されたことからラスク書簡と呼ばれる。原本はアメリカ国立公文書記録管理局 (NARA)に保管されている。
韓国政府から米国政府への要求は大きく分けて以下の3つであった。
  • 竹島と波浪島を日本の放棄領土に加え、それを日本国との平和条約によって放棄とするのではなく、1945年8月9日(注: 日本によるポツダム宣言受諾)の時点で放棄したことにすること。
  • 在韓日本資産を韓国政府および米軍政庁に移管すること。
  • マッカーサー・ラインの継続を日本国との平和条約で認めること。
しかし、米国政府はこの書簡の中で、在韓日本資産に関して米軍政庁の処理を認めるように記述を修整することを認めたが、竹島の要求、マッカーサー・ライン継続の要求には同意しなかった。竹島については、1905年以降島根県の管轄下にあり、韓国からの領土権の主張は過去になされていない、とアメリカが認識している旨を回答している。