更新日 2014年08月17日
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サンフランシスコ講和会議 参加国
サンフランシスコ講和会議に招請された国
1951年(昭和26年)7月20日、米英両国政府は、第二次世界大戦で日本に宣戦布告した49ヶ国に招請状を送り、9月4日からサンフランシスコで講和会議を開くこと、及びこの会議ではいわゆる「談判」をせず、草案を調印する機会とすることを通知した。
1951年(昭和26年)8月22日、フランスの要求を容れインドシナ三国(ベトナム・ラオス・カンボジア)にも招請状が発送された。
サンフランシスコ講和会議に招請されたが、参加しなかった国
インド、ビルマ、ユーゴスラビアは招請に応じず、講話会議に参加しなかった。
サンフランシスコ講和会議に招請されたインドが、参加しなかった理由
インドは、1947年8月15日にイギリスから独立をしているが、イギリス連邦に留まっていた。インドは「非同盟・ブロック非参加」として、ブロック参加を避けるが、米ソを含めてブロック加盟国と可能な限り友好協力に努力する政策をとっていた。
1949年の中華人民共和国樹立と1950年の朝鮮戦争勃発は、インドにとってその後の進路の分岐点となるものとなった。冷戦が激化する中で、宗教対立や経済危機などの国内問題を抱え、対パキスタン・対中国関係の安定が必要であった。それはすなわち、冷戦期においてアメリカ・ソ連を敵に回さない事であった。ブロックに加盟すると自主的な判断と行動の事由を失い、インドの民主主義と国益に反すると判断したのである。
当初インドは、対日講和問題に関してはイギリス連邦諸国と歩調を合わせていたが、最終的にはイギリスと反対の立場を取る事にいたった。インドは、日本の占領管理の早期終了を望んだが、問題解決にはソ連と中華人民共和国の協力が必要であると主張していた。
1950年10月25日、朝鮮戦争へ中国義勇軍が介入し、11月初頭ではアメリカを中心とする連合国と接触している。トルーマン大統領の原爆使用を考慮しているという発言に、インドはアジア・アラブ十三カ国と共に平和的解決への努力を始める。アメリカの国連における一連の中国非難から、中国がサンフランシスコ会議に招待されない可能性を大変危惧し、中国が講和会議に参加しないなら極東の安定は続かないだろうと考えた。
しかし、アメリカはソ連・中国への対決姿勢をもって対日講和の枠組みを作り、1950年11月24日、アメリカ国務省は対日興和の七原則を発表した。これをもとに、1951年4月に対日平和条約素案(ダレス素案)が報道された。
英米案を提示されたインドは、1951年5月16日にイギリス政府・アメリカ政府に、インド政府の条件を伝えた。一つは条約案の内容的なもの、もう一つは講和方式の問題であった。それを受け入れられなければ、インド政府は条約に署名せず、日本と個別条約を結ぶ事であった。インドは、ソ連・中国が調印しないことはアジアの平和にとって致命的で有ると感じた。
1951年5月16日にサンフランシスコ講和会議への不参加を決めた。
サンフランシスコ講和会議に招請されていない国
北京政府・台湾政府・北朝鮮・韓国およびモンゴル人民共和国は招請されなかった。
イギリスは、マラヤ・シンガポール・香港などの出席を求めず、これら諸地域も英国が代表することとした。
サンフランシスコ講和会議に、
中華人民共和国・中華民国が招請されない理由
中国は第二次世界大戦中連合国であったが、条約締結当時、国共内戦を経て1949年に成立した中華人民共和国と、内戦に敗北した蒋介石らの中華民国の二国に分裂しており、いずれを代表政権にするかついて米英の意見が一致しなかった。
イギリスは当時中華人民共和国を承認しており、中華人民共和国の参加を主張した。一方、中華人民共和国を承認していなかったアメリカは中華民国の参加を主張した。
また1950年6月25日から発生した朝鮮戦争において中華人民共和国とソ連は北朝鮮を支援し、英米韓などの連合軍と交戦状態にあった(朝鮮戦争は1953年7月27日に休戦)。
結局、日中間の講和については独立後の日本自身の選択に任せることにして「中国」の招請は見送られた。
講和会議直前の1951年8月15日には中華人民共和国の周恩来外相が、対日平和条約英米案は、1942年1月1日の連合国共同宣言が単独講和してはならないとしていることや、ほかカイロ宣言、ヤルタ協定、ポツダム宣言、1947年6月19日の極東委員会で採択された降伏後の対日基本政策などの国際協定にいちじるしく違反するものと批判する声明を発表した。
サンフランシスコ講和会議に、韓国の参加希望が拒否された理由
韓国は署名国としての参加を度々表明し、一時は署名国リストにも掲載されていたが、日本と交戦していなかったため、招請されなかった。当時の大韓帝国は日本に併合され、大韓民国臨時政府を承認した国も存在せず、また他の亡命政府のような「大韓民国臨時政府」の指揮下にある軍も存在しなかった事がその理由である。
1949年1月7日、韓国の李承晩政権は対馬領有を宣言し、日本に対馬返還を要求した。さらに李承晩は韓国が講和条約署名国としての資格があるとアメリカ側へ訴えた。
1949年12月3日、駐大韓民国ジョン・ジョセフ・ムチオアメリカ大使は中国国民党軍の朝鮮人部隊、大韓民国臨時政府の存在、韓国を署名国にすれば非現実的な対日請求要求を諦めさせることができること等を理由に韓国の参加をアメリカ国務省に要請した。1949年12月29日の条約草案では、韓国が締結国のリストに新たに加えられた。
日本政府としては、在日朝鮮人を連合国民として扱わないことが保証されるならば、韓国の条約の署名への反対に固執しないとジョン・フォスター・ダレス国務長官補に述べた。1950年6月25日に朝鮮戦争が勃発し英米も参戦するなか、1951年5月の米英協議等において第二次世界大戦において韓国が日本と戦争をしていなかったことを理由に、イギリスが韓国の条約署名に反対した。イギリスの方針表明を受けてアメリカも韓国臨時政府を承認したことがないことから方針は変更された。
1951年7月9日、ダレス国務長官補は韓国大使との会談で「韓国は日本と戦争状態にあったことはなく、連合国共同宣言にも署名していない」ことを理由に、韓国は講和条約署名国となれないことを通知した。この会談で、韓国側は日本の在朝鮮半島資産の韓国政府および米軍政庁への移管、竹島・波浪島の韓国領編入、マッカーサー・ラインの継続などを記した要望書を提出したうえで「十分な信頼と信任により平和を愛する世界の国々との機構への日本人の受け入れに反対する」と、日本を国際社会に復帰させようとする対日講話条約締結に反対した。
これに対しアメリカは1951年8月10日にラスク書簡で最終回答を行い、在朝鮮半島の日本資産の移管についてのみ認め、韓国のほかの要求を拒否した。しかしこの通知後も韓国は署名国としての地位を要求した。1951年月22日にダレスは韓国大使の署名要求を再度拒否するとともに、講和会議へのオブザーバー資格での参加も拒否、非公式の参加は可能と回答した。(「非公式に代表を送るのであれば宿泊や会場入場等の便宜をはかる」との回答。)
サンフランシスコ講和会議において、
『サンフランシスコ講和条約』が調印される。
1951年9月4日から8日にかけて、サンフランシスコ市の中心街にあるオペラハウスにおいて全52カ国の代表が参加して講和会議が開催された。
1951年9月8日、『日本国との平和条約(サンフランシスコ講和条約)』に49カ国の全権委員が署名し、講和会議は閉幕した。
『日本国との平和条約(サンフランシスコ講和条約)』の効力発生は、1952年4月28日とされた。
この条約によって正式に、連合国は日本国の主権を承認した。国際法上はこの条約の発効により、正式に日本と連合国との間の「戦争状態」が終結した。
サンフランシスコ講和会議に参加して、
『サンフランシスコ講和条約』に署名した国(49カ国)
署名国
  • アルゼンチン共和国
  • オーストラリア連邦
  • ベルギー王国
  • ボリビア共和国
  • ブラジル合衆共和国
  • カンボジア王国(仏連合王国)
  • カナダ(英連邦王国)
  • セイロン(英連邦王国)
  • チリ共和国
  • コロンビア共和国 ※
  • コスタリカ共和国
  • キューバ共和国
  • ドミニカ共和国
  • エクアドル共和国
  • エジプト王国
  • エルサルバドル共和国
  • エチオピア帝国
  • フランス共和国
  • ギリシャ王国
  • グアテマラ共和国
  • ハイチ共和国
  • ホンジュラス共和国
  • インドネシア共和国 ※
  • イラン帝国
  • イラク王国
  • ラオス王国(仏連合王国)
  • レバノン共和国
  • リベリア共和国
  • ルクセンブルク大公国 ※
  • メキシコ合衆国
  • オランダ王国
  • ニュージーランド(英連邦王国)
  • ニカラグア共和国
  • ノルウェー王国
  • パキスタン(英連邦王国)
  • パナマ共和国
  • パラグアイ共和国
  • ペルー共和国
  • フィリピン共和国
  • サウジアラビア王国
  • シリア共和国
  • トルコ共和国
  • 南アフリカ連邦(英連邦王国)
  • グレートブリテン及び北アイルランド連合王国
  • アメリカ合衆国
  • ウルグアイ東方共和国
  • ベネズエラ ボリバル共和国
  • ベトナム国
  • 日本
サンフランシスコ講和会議に参加して、
『サンフランシスコ講和条約』に署名拒否をした国(3カ国)
署名拒否国 (共産圏3国は講和会議に参加したものの、同じ共産主義国の中華人民共和国の不参加を理由に会議の無効を訴え署名しなかった。)
  • ソ連
  • ポーランド
  • チェコスロバキア