更新日 2017年09月22日
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東京裁判 外国からの批判・評価
ウィンストン・S・チャーチル イギリス 政治家(イギリス元首相)

1874年11月30日~1965年1月24日 イギリス 政治家(イギリス元首相)
『アメリカはこの先、日本の強調を必要とすることになる。この重大時、しかも終戦から三年後に、日本の著名人たちを絞首刑にするのは馬鹿げているように自分には思える。もし連合国が敗れていたとしたら、同じ理屈でローズヴェルトも自分も処刑されていただろう。』
[ 世界が語る大東亜戦争と東京裁判 ] ハート出版 吉本貞昭 著 253ページ
モーリス・ハンキー爵 イギリス 政治家(内閣官房長官・枢密院書記官長)

1877年4月1日~1963年1月26日 イギリス 政治家(内閣官房長官・枢密院書記官長)
『もし敵が先に原爆を使ったとすれば、原爆の使用が同盟国における戦争犯罪のリストの中に掲げられ、原子爆弾の使用を決定した人達や、原爆を用意したり使用した人達は断罪されて絞首刑に処せられたであろう。
奇怪な取合せを持った法定が一切の別意見をそのままにして、誤った手続にのって、多数決により、人間を死刑や長期の禁錮に処することができ、それをあえてしたということを思うとき、胸がむかついてくる。』
[ 世界が語る大東亜戦争と東京裁判 ] ハート出版 吉本貞昭 著 253ページ
ビル・トッテン アメリカ 実業家(株式会社アシスト社社長)

1941年 アメリカ 実業家(株式会社アシスト社社長)
『 戦後日本は物質的には豊かになったかもしれないが、精神的にはどんどん悪くなってきていると私は思う。私が日本に来た二十八年還に比べても、それははっきり言える。・・・・・なぜこんなことになってしまったのか。私はマッカーサーによる戦後教育を受け、マインド・コントロールされた人達によるところが大きいと考えている。マッカーサーのマインド・コントロールは、まず飢えた日本人に食料を与えることから始まった。
・・・・・次の段階でマッカーサーのやったことは、日本人に「あの戦争をやったのは間違いだった。ほかの多くの国に、たいへんな迷惑をかけてしまった」と反省や罪の意識を植え付けることだった。
・・・・・そこで連合軍老司令部(GHQ)は、新聞やラジオ、映画などあらゆるメディアを使って””戦争罪キャンペーン””をくりひろげた。
・・・・また戦犯容疑者を裁く「東京裁判」にあわせて、国民に戦争犯罪の意識を高めさせるプログラムが実施された。連日ラジオでは特集を組み、映画館ではニュース映画で戦犯達の罪状を紹介した。この結果多くの日本国民は、「結局は東条英機が悪かったんだ」などと思ういうになり、またフィリピンや中国など、日本軍が侵略して残虐行為を働いたことに極度の反省意識を持つようになった。 』
[ 世界が語る大東亜戦争と東京裁判 ] ハート出版 吉本貞昭 著 251ページ
チャールズ・A・リンドバーグ アメリカ 飛行家・陸軍大佐

1902年2月4日~1974年8月26日 アメリカ 飛行家・陸軍大佐
『 その途中で、話が日本軍と我が軍が犯す残虐行為に及んが。わが軍の一部兵士ガ日本捕虜を尋問し、日本ン劣らぬ残虐な蛮行をやってのけていることも容認された。我が軍の将兵は日本軍の捕虜や投降者を射殺することしか念頭にない。日本人を動物以下に扱い、それらの行為が大方から大目に見られているのである。我々は文明のために戦っているのだと主張されている。ところが、太平洋における戦争をこの眼で見れば見るほど、我々には文明人を主張せねばならぬ理由が無くなるように思う。事実、この点に関する我々の成績が日本人よりも遥かに高いという確信は持てないのだ 。
ドイツ人がヨーロッパでユダヤ人になしたと同じようなことを、我々は太平洋で日本人に行って来たのである。ドイツ人が人間の灰を穴に埋めることで自らを穢したと同じように、われわれもまた、ブルドーザーで遺体を浅い、墓標もない熱帯地の穴に放り込むことにより自らを穢したのである。地球の片側で行われた蛮行はその反対側で行われても、蛮行であることには変わりがない。』
[ 世界が語る大東亜戦争と東京裁判 ] ハート出版 吉本貞昭 著 250ページ
ジョン・ダワー アメリカ 歴史学者 カリフォルニア大学教授 

1938年6月21日~ アメリカ 歴史学者 カリフォルニア大学サンディエゴ校教授
『 東京裁判における唯一の反対意見として、インドのラドヒビノッド・パル判事は、日本の指導者達に対する残虐行為の共同謀議の罪の追求を否定し、それを認めるとすれば、勝利者の側にも、最も大きな罪の裁きが及びかねないとさえ示唆した。パル判事はその長い意見書の中で、アジアの戦場における「無差別殺人」の最たる例は「連合国側の原爆使用の決定」と言えるかもしれないと述べた。
マッカーサーの右腕の一人、ボナーフェラーズ推奨は、米軍の日本に対する空襲を、素直に「史上最も冷酷、野蛮な非戦闘員殺戮の一つ」と表現している。とはいえ、こうした考え方が公に表明されたことは希だった。そして46年に焼け野原と化した東京で、日本の指導者たちを『老若男女を問わない』無差別殺戮遂行の罪で被告の座においた連合国側の告発者たちは、その皮肉をほとんど感ずることもなかった。それは日本が自分でまいた種と考えられたのである。』
[ 世界が語る大東亜戦争と東京裁判 ] ハート出版 吉本貞昭 著 250ページ
ジェームズ・W・モーリ アメリカ 政治・歴史学者 コロンビア大学教授 

1921年~ アメリカ 政治・歴史学者 コロンビア大学教授
『 一つの立場は、太平洋戦争で日本に勝利した連合国政府の判断に立ち、日本の悲劇はすべて日本自らが招いたするものである。これは極東国際軍事裁判の判決のように日本の困難は第一に「侵略戦争」を行うことを共同謀議した28人の「犯罪人」グループによって引き起こされたことになる。
日本では、連合国の告発の最も忠実な支持者達は、正統派のマルクス・レーニン主義者いわゆる講座派であり、彼らは日本共産党の古典的な1927年および32年テーゼを首尾一貫してかかげていた。彼らは確かに、軍事法廷で告訴された人物の死と共同謀議の嫌疑を黙認した。』
[ 世界が語る大東亜戦争と東京裁判 ] ハート出版 吉本貞昭 著 249ページ
ハンス・ケルゼン アメリカ 国際法学者 カルフォルニア大学教授 

1881年10月11日~1973年4月19日 アメリカ 国際法学者 カルフォルニア大学教授
『 被害を受けた国が、敵国国民に対して刑事裁判権を行使することは、犯罪者側の国民からは、正義というよりむしろ復讐であると考えられ、したがって将来の平和保証の最善策ではない、ということである。戦争犯罪人の処罰は、国際正義の行為であるべきものであって、復讐に対する渇望を満たすものであってはならない。戦敗国だけが自己の国民を国際裁判所に引渡して戦争犯罪に対する処罰を受けさせなければならないということは、国際正義の観念に合致しないものである。戦勝国もまた戦争法規に違反した自国民に対する裁判権を独立公平な裁判所に進んで引き渡す用意があって然るべきである。』
[ 世界が語る大東亜戦争と東京裁判 ] ハート出版 吉本貞昭 著 248ページ
セオドール・マックネリ アメリカ 歴史学者 メリランド大学教授
『 ニュルンベルグと東京裁判は、まず第一に政治裁判であった。すなわち、侵略戦争の名のもとに敗者を罰するために、勝ち誇った側の政治指導者が行ったものであった。』
[ 世界が語る大東亜戦争と東京裁判 ] ハート出版 吉本貞昭 著 248ページ
ロバート・A・タフト アメリカ  政治家 上院議員

1889年9月8日~1953年7月31日 アメリカ 政治家 上院議員
『 勝者の敗者の裁判は、どれほど司法的な体裁を整えてみても、決して公正なものにはなりえない。
侵略戦争を起こす者は、勝利の自信をもってはじめる以上、勝利者が敗者を裁くことは、将来の侵略戦争の戒めにはならない。この裁判は、正義の実現ではなくて復讐の発現であり、アメリカの歴史に汚点として残るだろう。ことに日本に対しては、ドイツの場合より、はるかに復讐の名目すら立ちがたい。従って、ニュールンベルグの轍を決して踏んではならない。』
[ 世界が語る大東亜戦争と東京裁判 ] ハート出版 吉本貞昭 著 246ページ
ジョン・G・ブラナン アメリカ 極東国際軍事裁判の弁護人
『 二、極東国際軍事裁判は、米国陸海軍統合参謀本部の指令下に在るマッカーサー元師により創設されたものであり、各被告の罪科の定義、細目はその條例中に含まれている。この條例中に含まれている「平和に対する罪」なるものは、米国はじめ世界のいずれの国の普通裁判所、軍法会議にも存在した事はない。
三、かかる「平和に対する罪」なるものを制定する事は米国憲法に違反し、マッカーサーの行為はその権限を超えたものである
四、「平和に対する罪」なるものが、原告達が犯したといわれる行動の後に初めて定義された事は明らかに遡及的であり、遡及的法律の制定を禁止した米国憲法違反である。
五、裁判所の判事達は全部日本と戦争をした国の国民であり、各国政府が日本は侵略戦争をした罪があるとの政治的決定を宣言している以上、判事達は公平無私の見解をとる事はできない』
[ 世界が語る大東亜戦争と東京裁判 ] ハート出版 吉本貞昭 著 244ページ
極東国際軍事裁判でのA級戦犯の被告「永野修身」のアメリカ人弁護人を務めたのがジョン・G・ブラナンである。
ウィリアム・ローガン アメリカ 極東国際軍事裁判の弁護人

アメリカ 極東国際軍事裁判の弁護人
『 欧米諸国は日本の権利を完全に無視して無謀な経済的立法を行ったこと、また真珠湾に先立つ数年間、故意にかつ計画的に、しかして共謀的に、日本に対して経済的、軍事的圧力を加え、しかもその結果が戦争になることは十分に承知しており、そう明言しながら、彼らが右の行動をとったという事実があります。また肯定的弁護として次の事実が証明される。すなわち情勢はいよいよ切迫し、ますます耐え難くなったので遂に日本は、欧米諸国の思う壺にはまり、日本からまず手を出すようにと彼らが予期し、希望したとおり、自己の生存そのもののために、戦争の決意をせざるを得なくなった。』
[ 世界が語る大東亜戦争と東京裁判 ] ハート出版 吉本貞昭 著 248ページ
『 私は最初日本についた時には、これはとんでもない事件を引き受けたものだと、後悔しないでもなかった。しかるにその後種々調査、研究をしているうちに私どもがアメリカで考えていたこととは全然逆であって、日本には二十年間一貫した世界侵略の共同謀議なんて断じてなかったことに確信を持つにいたった。したがって起訴事実は、全部無罪である。しかしこれは弁護人である私が二年半を費やし、あらゆる検討を加えてようやくここに到達し得た結論である。したがって裁判官や検事はまだなかなかこの段階に到達していないだろうと想像される。これが判決を聞かずして帰国する私の心残りである。』
[ 東京裁判の正体 ] 図書刊行会  菅原裕 著
ベン・ブルース・ブレイクニー アメリカ 極東国際軍事裁判の弁護人

1908年~1963年3月4日 アメリカ 極東国際軍事裁判の弁護人
『 国家の行為である戦争の個人責任を問う事は法律的に誤りである。なぜならば、国際法は国家に対して適応されるものであって個人に対してではない。個人による戦争行為という新しい犯罪をこの法定で裁くのは誤りである。
戦争での殺人は、罪にならない。それは、殺人罪ではない。戦争は合法的だからです。つまり合法的な人殺しなのです。殺人行為の正当化です。たとえ嫌悪すべき行為でも、犯罪としての責任は、問われなかったのです。キッド提督の死が真珠湾爆撃による殺人罪になるならば、我々は広島に原爆を投下した者の名を挙げる事ができる。投下を計画した参謀長の名も承知している。その国の元首の名前も我々は、承知している。彼らは、殺人罪を意識していたか。してはいまい。我々もそう思う。それは彼らの戦闘行為が正義で、敵の行為が不正義だからではなく、戦争自体が犯罪ではないからである。何の罪科で、いかなる証拠で、戦争による殺人が違反なのか。原爆を投下した者がいる! この投下を計画し、その実行を命じこれを黙認した者がいる! その者たちが裁いているのだ!』
[ 世界が語る大東亜戦争と東京裁判 ] ハート出版 吉本貞昭 著 240ページ
ラファエル・デ・ラ・コリナ メキシコ 駐米メキシコ大使
『 われわれは、できることなら、(著者注:サンフランシスコ講和条約の)本条項[第十一条]が連合国の戦争犯罪裁判の結果を正当化し続けることを避けたかった。あの裁判の結果は、法の諸原則と必ずしも調和せず、特に、法なければ罪なし、法なければ罰なしという近代文明の最も重要な原則、世界の全文明諸国の刑法典に採用されている原則と調和しない、と我々は信じる。』
[ 世界が語る大東亜戦争と東京裁判 ] ハート出版 吉本貞昭 著 235ページ
1951年9月5日、サンフランシスコ講和会議が開かれた。メキシコ代表として出席していた、ラファエル・デ・ラ・コリナが会議で行った発言である。日本に対しての懲罰的な講和条約第11条についての発言である。
イポリト・ヘスス・パス アルゼンチン 駐米アルゼンチン大使
『 この文書の条文は、大体において受諾し得るものではありますが、2、3の点に関し、わが代表団がいかなる解釈をもつて調印するかという点、及びこの事が議事録に記載される事を要求する旨を明確に述べたいのであります。……本条約第11条に述べられた法廷[東京裁判]に関しては、わが国の憲法は、何人といえども正当な法律上の手続きをふまずに処罰されない事を規定しています。』
[ 世界が語る大東亜戦争と東京裁判 ] ハート出版 吉本貞昭 著 235ページ
1951年9月5日、サンフランシスコ講和会議が開かれた。アルゼンチン代表として出席していた、イポリト・ヘスス・パスが会議で行った発言である。
「 正当な法手続きを踏まずに日本人指導者を処罰した東京裁判は、アルゼンチン憲法の精神に反している。」として、東京裁判を間接的に批判したのである。しかし、メキシコ、アルゼンチン両代表の発言は記録にとどめられただけで、条約草案はそのまま条約本文となった。
鄭春河(日本名:上杉重雄) 台湾人(元志願兵) 台湾の実業家
『 敗戦国日本は戦勝国に戦争責任を問われ、歴代首相や閣僚達が根こそぎ逮捕されてしまった。・・・・戦勝国の手による復讐は、一方的な優越感のもとに行われた裁判であった。戦勝国は日本の政治組織を根こそぎ解体せねば止まぬ目的を持って戦争犯罪人を捕らえたのである。そしてその人達に「戦犯」という新しい人称代名詞を冠し、由来「戦犯」の呼び名はこの裁判によって独自に使われるようになったのだ。・・・・彼等は戦争は非人道的な行為だと主張しながら戦争を挑発し、法定ではかつて日本の指導者だった被告たちを罵倒した。そして留置所に収容した被告たちには牛馬にも劣る非人道的な生活を押し付けたのであった。戦犯たちは戦勝国の判事の前に屈しなければならなかったのである。
戦勝国は法律なき軍事裁判の法廷で、日本に侵略国の汚名を着せ、更に無知な国民にそれを宣伝出来る効果を利用したのである。それは侵略の強調こそ、白人自らの得意とした「侵略」の歴史を覆ひ隠すための方法であった。これは米国が中国大陸の権益にありつけなかった復讐である。』
[ 世界が語る大東亜戦争と東京裁判 ] ハート出版 吉本貞昭 著 234ページ