更新日 2014年08月17日
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世界の歴史 黄河決壊事件に類似した紛争・事件・災害
世界の歴史 自然災害による河川・堤防・ダムの崩壊
エーデルダム・メーネダム空爆 1943年 ドイツ
第二次世界大戦時にイギリス空軍によるチャスタイズ作戦の折、軍需産業が盛んだったルール工業地帯に損害を与えて工業生産力を低下させ、ナチス・ドイツに致命的な打撃を与えるため両ダムを空爆し、破壊した。流域住民1,288人が死亡した戦争によるダム破壊の代表事例。
この作戦により決壊したダムからは、3億3千万トンに達する水が下流のルール峡谷一帯に流れ出し、ダム下流域80kmにわたって被害を及ぼす水害を引き起こした。この水害による被害は、次のとおりである。
  • 死者:1249名
  • 死亡家畜数:6500頭以上
  • 流失した橋梁:25箇所
  • 操業不能に陥った軍需工場:125箇所
  • 一時的に耕作不能となった農地:約3000ヘクタール

1943年 イギリス軍による [ チャスタイズ作戦 ]で崩壊したエーデルダム・メーネダム
水豊ダム空爆 1949年 北朝鮮
朝鮮戦争時にアメリカ空軍が戦況を有利に運ぶために、電力施設への空襲や北朝鮮軍および支援する中国軍に打撃を与えるべく数度に渡り空爆を行う。ダムはかつて朝鮮半島を統治していた日本が建設したものだが、ダムの体積が大きかったことや建設技術が優れていたこともあって破壊させることに失敗する。

1937年に日本が朝鮮半島を統治していた時に、満州国と朝鮮の電力確保の為、[ 水豊ダム ]の建設を開始した。
[ 水豊ダム ]による水豊水力発電所(発電能力:60万kW)の発電規模は当時の世界最大級で、1940年当時の日本国内の水力発電規模280万kWと比較してもその大きさは容易に比較できる。7基の発電機は各々約10万kWの発電能力を持っていたが、当時世界最大級の能力であり、製造を受注した東京芝浦電気(現在の東芝)は製造のために新工場を建設したという。
1945年8月9日、ソ連軍(赤軍)侵攻により、7基の発電機のうち5基を略奪された。略奪された発電機は、カザフスタン共和国、イリティッシュ川(エルティシ川)上流のダムで確認されている。。
朝鮮戦争中に雷撃を含む、アメリカ軍機の攻撃を受けたが、ダム構造が堅牢であったため決壊を免れた。戦後に北朝鮮は発電能力を増強して復興した。竣工から60年以上経過した現在もダム本体は大きな改修工事が行われず現役であると思われ、現在も北朝鮮の重要なエネルギー源の一つである。
アムステルダムの防衛線の要塞 1883-1920年に建設 水を利用して防衛
「アムステルダムの防衛線」は、1883-1920年にかけて建設されたアムステルダムを環状に囲む洪水線のことです。全長135km、45の砦があります。「水」、つまり人為的な洪水によって外敵の侵入を防ぐ、低地のオランダ独自の軍事防衛線です。飛行機の登場によって存在価値がなくなってしまいましたが、50年ほど前まではいつでも使用できるよう実戦配備されていたようです。

このような「洪水線」はオランダ各地に存在していますが、最も古いものが、八十年戦争期に整備された「旧洪水線」です。
板橋・石漫灘ダム決壊事故 中国 1975年8月8日 (台風による災害とされている)
台風3号により河南省一帯は記録的な大雨となり、一日降雨量が1,060ミリと世界で最も多い降水量を記録した。豪雨に伴い流域の河川が増水、文化大革命時に建設された板橋ダム(総貯水容量:約8億立方メートル)・石漫灘ダムの巨大ダムを始め大小合わせて62箇所のダムが連鎖的に決壊した。この事故により流域の住民や救援活動を行っていた中国軍兵士ら1,827人が死亡、全体でも推定26,000人が死亡したといわれている。
原因はこのダムが1957年から1969年まで実施された「大躍進政策」により人海戦術で建設され、工事全体が欠陥だらけであったのに加え、洪水吐きなどの放流設備がほとんど設けられていなかったことが挙げられる。専門家らが指摘したが中国政府は黙殺、結果的に事故につながった。
最終的には鄧小平の指示によって洪水流下の阻害要因となっていた残りのダムが爆破されることで洪水は収束した。中国国内ではこの事故を「75.8大洪水」と呼んで「自然災害」とし、ダム決壊の事実は報道が全く禁止されて隠蔽された。この事実は近年明らかになっている。

1975年8月8日 中国 板橋ダム決壊事故。この事故で関連死を含め数十万人が亡くなったとされている。